過去ログ[0010] |
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年をとったらみんなで暮らそう。
おんなともだちと話していて定期的にそういう話題になる。
それぞれが部屋をもち、
食事時には集まって一緒にごはんを食べたりする。
本を貸し借りし、たまには深夜まで話し込む。
なにかの映画でみたような風景だけれど、
想像すればするほど、悪くない案に思える。
どこかのお金持ちに家を買わせよう。
どうやってだますの?
Kをいけにえに差し出せばなんとかなるよ。
ひどい。でもそれいいアイデア(笑)
そんなやくたいもないことを話しながら、
げらげら笑って。
欲望の話になったのだった。
欲望のありようが変化していること。
ぎらぎらしたものがすっと背後にさがったあとの、
静寂のこと。
過去の自分に「どうだまいったか」と言い続ける日々と、
過去の自分に「面目ない」と頭をさげたくなる日々。
フイユタージュ、クリーム、フイユタージュ、クリーム。
ひたすら重ねている。
九月になったので元気
たしなめられてうれしかったり
南のお茶にこころふるえたり
して
問うたり問われたり
(おもに問う愉悦に浸るわけですが)
でたらめとまじめのなかほどで
案じている
胃が痛くなるまで思い悩んだあの時間はなんだったのだろう
と 絶句するような出来事あり
経緯がどうであれ
それが誰にでも起こりうることである以上は
最大限想像をはたらかせ配慮したいと思ってきたけれど
残念ながら理解の限界をこえてしまった
申し出る側も応分以上の傷を負うことに
注意をはらうひとはそう多くはない
そしてその傷はとても癒えにくい
まだここを読んでいてくださる方がいるかどうかわかりませんが。
このたび「未来短歌会」に入会いたしました。
短歌の掲載はまだ先になると思いますが、まずはご報告を。
道内の会に所属していた時期もありましたが、
20年余り、心情的には無所属に近いかたちで、
自由と心細さを両手に、好き勝手にやってきた気がします。
ネット上での、所属にこだわらない交流からも多くを学ぶことができました。
そうした得難い時間を経て、
ここ数年、折りにふれ、
結社に入ってきちんとやりなおしたいと考えるようになっておりました。
途中、こちらでもおしらせしたような思いがけない出来事の関係者になってしまい、
こういう書き方は我ながらどうかと思うのですが、
なにか自分が、不動産でいうところの「訳あり物件」になってしまったようで、
つまり、今わたしから動いたり働きかけたりすると相手になにかしら迷惑がかかるのでは、という、
ひどくややこしい心情に悩まされました。
(今でも似たような出来事を耳にするたびにいたたまれなくなります)
機会を逸したのかもしれない、それも自分らしい、などと放念しかけていたのですが、
最終的に気持ちが定まったのは、自分の年齢、ともだちがつよく背中を押してくれたこと(大感謝)に加え、
やはり震災のことが大きかったように感じます。
うまく説明できないのですが、
ずっと短歌を書いていきたいとあらためて思うに至りました。
あわてて先回りして書き加えますが、
ことばのちから、というような大きなことではありません。
むしろその反対側にあるような、
ごく小さなこと、消え入るようななにかを根拠に、
自分なりに書いていけたらと思っています。
結社に対して心理的に距離をとってきた自分の、
ここにきての意識の変化をおもしろがりつつ、
文字通り初心に返ってゆっくりやっていこうと思います。
いつまでもおぼつかないままでお恥ずかしい限りですが、
今後ともどうぞよろしくお願いします。
*
掲示板のサービスが終了したり、
凍結したままのページがあったり、
HP全体のすがたも変容していますが、
時間をみつけて少しずつ整頓していければと思います。
最近はtwitterばかりですが、
またときどきここにも書きますね。
今年はよく動いた夏でした。
動きすぎて、無作法になっていたようにも思います。
ふるまいはいつも難しく、難しさは未知のまぶしさでもあり。
とまれ、げんきです。
今感じているのがどういう種類の恐怖なのか考えている
(自分の)命を失うことへの恐怖では、どうやら、ない
では何だろう
塩麹を仕込んだり長めの散歩をしたりして過ごしている
発酵は魅惑的
気配を感じて見にいくと
近所でいつも真っ先に咲いてくれる桜が
今年もきれいにほころんでいた
そうか
大文字で書かれたことばばかり目にしているせいだ
ずっと離れたくて逃げまわってきたのに
またつかまっている
ある時期までtwitterを快適に感じていたのは
そこには小文字で書かれたことばしかなかったから
情報が錯綜していた「直後」よりも、
今のほうがよほど精神的にこたえている。
あいかわらずことばは斜交い。
ときおり、
予想もしなかった角度でやってきては、
ぞっとするようなやさしさでねんごろにからめとろうとして。
真空。みごとに。
秋津島敷島液化さざれいしの母と子しぼる歯磨きチューブ/村上きわみ
十年ほど前にこの歌をつくったとき、
気味の悪い歌だなあと他人事のように思ったものだけれど、
こうして読み返すと、
平和だなあと思ったりする。
意識が、平和。
さくらはもうじきです。
この出来事を燃料にしてことばを発したくない。
やすやすとそうなる自分だと承知していますので、
今は、そのことにだけ腐心しています。
祈りも、嘆きも、怒りも、満ちてくる不寛容な心も、
悼む心さえも、
どれもまだ瞬間の反射に近く、自分が信用なりません。
今感じている無力感を、
いったんおなかの底までしっかり浸透させ、
その上で、ただ具体的でありたいです。
いちばん苦手で後回しにしてきたことですが、
こんなときだからこそ。
Twitterも含めて黙りがちになっていますが、
なんとかやっていますので。
できることから。
ことばが底をつく
神経の束をくいっとつかむ
お 意外なところにひきつれ
ひとすじの朱のラインが心臓のあたりを分断するシャツを
ねっしんに勧めれば
***** と
妙にねんごろな返答をしやがる
よい啓蟄だねえ
最下部の階層に永久凍土を置いて
あかるいほうの階層へ
のりうつってのりうつって
岬のへりを足指でしっかりつかむ
灰色の顔をした男が
こぶしをふりあげるのを
見ていた
ようやく手になじんできたiPhoneのなかに
灰色の顔をした男
ふるい物語にでてくる癇癪持ちのように
ああ ろれつが
*
もっとも無口なひとの側にいたい
山の、ちょうどなかほどあたりの、ほどよくひらけた場所で別れた。
あとで落ち合うことになっているので、安心して大仰に別れることができる。
そういうあそびをふたりとも好み、
さまざま趣向をこらしては、相手の膝裏をくすぐるようなことをしていたのだ。
ただしく別れるまでの、いつまでが猶予なのかはわからなかった。
山にはまだすこし雪が残っていて、
しかし目をほかに転ずれば、
本格の緑にはすこし早い、内気な、ひらかなのような新芽が枝々に縁飾りのようについていた。
真顔になって、じゃあまたあとで、と言う。
なんべんも、またあとでね、と。
今朝の夢。
好き放題あつかわれるのを
実は よろこぶ
自分の意志というものが希薄なのだろうと思う
おすすめされたり
飾られたり
差し引かれたり したい
そうやって辻辻でころんでは
ころんだことにしみじみしていたい
自分からできるだけ「自分」を抜いて
その都度偶然の産物のように立てたらいい
ちかごろはよくしゃべる
Wikileaksからクリス・カニンガムまで
フレンチトーストからチュニジア、エジプトまで
最近のバンドはあまり髪を染めない
という話に相づちをうちながら
髪を染めたくらいでは追いつかない屈託というものがあるよねえ と
内心のわたくしが
差し出がましくなりかけて つぐむ、口
今使っているご飯茶碗を持って行くのだという
帰省のときは茶碗持参で帰ってくる と
(それ、かわいい)
(母としてアがるところでしょそこは と その妹は言い)