[1033] Re[1032]: 類似句・類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/06/06(Fri) 09:51

至遊さん

> 〜略〜 こんなとき、後で出来たから即消すというのはどうかという悩みが出て来ます。

ご存知のように芭蕉流でいきますと、
「自分の句が後で出来たと分かったときは取り下げる」
「後で出来た句でも優れているときは取り上げる」
としたようですから、「誰かが取り上げてくれる」場合は容認していると考えられますね。

拙句の場合は、いかにいくつかの先行句があったことを知らなかったとは言え、
優れた先行句がすでに歳時記に載っていることでもありますので、
取り下げが妥当と考えられます。

誰でも、自分でもこれは良く出来たなと自負している句がいくつかあると思うのですが、
それらの自負句に関して、この例のように先行句が後で見つかったり、
あとで似たような他者の句が大きな大会で受賞しているのが分かったり、
などのように、時間の経過とともに自作句だと胸の張れる手持ち句が減ってきます。
60歳で句作をやめましたので、補って増やすこともできませんし・・・(-_-;)。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1032] Re[1031][1030]ほか: 類似句・類想句 投稿者:至遊 投稿日:2003/06/04(Wed) 13:51

未来さん

 どう見ても
  鯵刺や空に断崖あるごとし
手裏剣の如く翡翠まつしぐら
 が類句ではありませんが類想と見えます。空から水に向かって直角に突っ込んで行く情景をどちらも描いていますから、これらの類似性はピンと来ます。
   鯵刺や空に断崖あるごとし
椋鳥や空に投網を打つごとし
は確かに鯵刺が椋鳥に変わり、「や」で切って「空に」「ごとし」が同じですが、情景は全く違います。椋鳥の集団はある一定の幅を持ってはいるが似たような方角へ一斉に飛び立ったところでしょうから、これを類句・類想の中に入れたらきつすぎます。むしろ
   投げられし風呂敷の如椋鳥空へ
   椋鳥や空に投網を打つごとし
は投網が風呂敷に変わっていますが、情景は同じです。同じ椋鳥ということもあり、類想でしょう。ただし未来さんだから言うんじゃありませんが、風呂敷より投網の方が規模といい、色といい真に迫っていますね。こんなとき、後で出来たから即消すというのはどうかという悩みが出て来ます。

 一代限りの件は、総合俳誌では中々書けないところでしょうね。そんな関係者がいっぱいいる訳ですから。宇多喜代子さん大串章さんたちの対談集の中に一部そんな主張はありました。「一誌一代」という言い方をしていますが。


[1031] Re[1030]ほか: 類似句・類想句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/06/03(Tue) 09:01

至遊さん

>  未来さんの句とは高浜年尾の句が類句かなという投げかけではなかったんですか?同じく林翔と水晶花さんの句が類句だと思っていました。どう見てもそうでしょう?私の勘違い?

最初4句掲載の順序が、鯵刺〜、〜翡翠〜、〜椋鳥〜、〜椋鳥としておりましたのでそう受けとめられたのかもしれません。
謙遜のつもりで拙句を最後にしたのでしたが・・・。
[1024]番に書き込みましたように、林翔氏と拙句の類似を説明したかったのでした。
どうもまぎらわしい書き方で失礼しました。


>  別件の「一代限り」の件〜

出典を無理に探さなくてけっこうですが、出典はないかもしれませんね。あるとすれば結社誌か、俳句関係月刊誌ではないでしょうか。
私は、以前3ヵ年ほどたまたま購読してました結社誌『俳星』の主宰(同誌は主宰のことを主幹と呼称しておりました)の話として、誌面で読んだ記憶がありました。
その他の聞いたたり見たりの記憶は思い出せません。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1030] Re[1024][1019][1017]: 類似句・類想句 投稿者:至遊 投稿日:2003/06/02(Mon) 19:29

未来さん

 未来さんの句とは高浜年尾の句が類句かなという投げかけではなかったんですか?同じく林翔と水晶花さんの句が類句だと思っていました。どう見てもそうでしょう?私の勘違い?
 別件の「一代限り」の件は別途調べてみますが、私も先生からその話はよく聞いていたことは確かです。出典を明確にしなければなりませんね。ただ私はもし誰か先に言っていなかったとしても、「原則として」それに賛成なのです。


[1029] 更衣 投稿者:未来 投稿日:2003/06/02(Mon) 09:37

  六月の女すわれる荒筵         石田波郷
  甘納豆六月ごろにはごろついて    坪内稔典

はや6月、緑はいよいよ色濃さを増してきます。
日本全国、いっせいに衣更えです。
俳句歳時記では、なぜ「更衣」と書くのでしょう?
なお、広辞苑には「衣替え」とは、男女が衣服を交換または借りて着ること、とありました。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1028] 定期宣伝 投稿者:あいおい 投稿日:2003/05/30(Fri) 23:44

5月の句をアップしました。

2001年にサイトを立ち上げて、6月で満2年になります。
毎月5句。
ささやかですが、少しずつ積み上げて235句。

どうぞ、サイトを覗いてやってください。

@@@@@@@@@
管理人様

URL一覧にあります、「相生冨美栄」を「相生冨美詠」に変更お願いします。
散財してしまう字画だというので、改名いたしました。

http://aioi.ktplan.jp/575/


[1027] Re[1023][1022][1013]: 第二芸術 投稿者:向井未来 投稿日:2003/05/28(Wed) 12:48

至遊さん

貴ホームページの『「第二芸術」を読む』の中で、
「〜(略)〜 本来結社は一代限りのものとされてきたし、〜(略)〜」
とありますが、私も「結社誌の主宰は一代かぎり」という同じような意味の言葉を、これまで1、2回見たり読んだりしています。

そのたびに疑問に思っていましたのは、一代限りとは、
「誰が」決めたことなのか、
「いつ頃から」そのように言われているのか、
なぜそれを「守らなければならない」のか、などです。
お分かりになっていることで結構ですので、教えていただければありがたいです。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1026] コーヒータイム 投稿者:未来 投稿日:2003/05/28(Wed) 09:56

水嵩や影折れ映る猫柳      向井未来(平成5年7月1日発行『新雪』第4号掲載)
水嵩のもどり来し濠猫柳     南 礼子(平成8年俳句3協会協力「あなたの一句が地球を救う」キャン
                        ペーン俳句大会上位6位中の1句)

「水嵩」と「猫柳」の語が一致し似ていますが、私は類句でも類想でもないと思っています。
また、私自身は、句のポイントないし生命は「水嵩」にあると考えています。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1025] 類似・類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/05/28(Wed) 09:54

蟻の列始め終りのなかりけり   向井未来(平成元年11月1日発行『新雪』第6号掲載)
蟻の列どの一匹に始まりし   林 琴枝(平成8年度NHK学園全国俳句大会生涯学習賞受賞句)

完全に別個につくられたと思いますが、類似・類想句だと考えています。
しかし、特に異議申し立てはしておりません。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1024] Re[1019][1017]: 類似句・類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/05/24(Sat) 09:51

至遊さん

  椋鳥や空に投網を打つごとし   向井未来
                 (平成8年11月1日発行『新雪』第6号雑詠欄掲載)
  鯵刺や空に断崖あるごとし 林  翔
                 (平成9年5月5日発行『俳句歳時記』第三版:角川書店編)
  投げられし風呂敷の如椋鳥空へ   高浜年尾
  手裏剣の如く翡翠まつしぐら     宇都木水晶花

作者は以上のとおりです。
じつは、拙句を発表掲載後に歳時記で林翔氏の句を発見したのです。
『新雪』は当時私が投句していました地元の俳誌です。
発表(平成8年11月)から間もなく角川書店の歳時記を購入(平成9年5月)し、
先行類似句があることにがっくり! しかも有名大家の句で、おまけに歳時記に載っている!!

歳時記の発行日をあえて平成9年5月5日としましたが、
これは私が購入し所持しております第4版のを挙げたもので、
後で確認した初版は、平成8年5月25日の発行でした。
つまり、角川書店の歳時記の初版は私の句の発表前に出ておりますが、
私が読んだのは平成9年5月以降だと強調したかったんですね(-_-;)。

高浜年尾、宇都木水晶花氏の句は、
私の句が類似句だったと気がついたものですから、注意していたので、
そのあとで気付いたと言いますか、見つけたものです。
したがって、この両者の句がいつごろか、先か後かは分かりません。
高浜年尾氏は相当前に亡くなられていますし、
林翔氏の句も歳時記に載るずっと以前に発表されているものと思われます。

結局、私は「先行句があれば自分のを取り下げる」方針をとっていますので、
仮に今後句集などを作ることがある場合は載せないつもりです。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1023] Re[1022][1013]: 第二芸術 投稿者:至遊 投稿日:2003/05/18(Sun) 17:57

未来さん

 拙文をお読みいただき、過分な感想までいただきましてありがとうございます。

> 集団の利益を守る、そのためには、これまで善しとしてきたその「集団の生きざま」をなんらかの形で継承して行く、
> さらには、自己集団が外部に対しても力を持たなければならない。
 ここで言う「集団の利益」が何かですが、本来は切磋琢磨の場としての集団というのが一番必要とされていたところでしょうが、その「集団」は俳句の場合2段階あります。先ず句会という単位での集団、そしてそれを同人という形で、機関紙を武器として纏めている結社です。
 個人としては自分の作品を全国ベースで発表するには機関紙が必要で、句会というベースでは切磋琢磨は出来るけど、その成果を広く問えない。そこで結社の機関紙を利用するし、自分としてはそれが利益だと思っている。一方結社の中心にいる人たちにとってみれば、本来は俳句の理想を求めて集まってきた人たちへの指導ができ、かつ事務局的な役割が果たせなければならない。ただ元々はある個人の下に集まった人たちだから、世襲になるとそれだけの求心力はなかなか残らない。そんな状態で結社だけ維持すれば、この同人は顧客(会費を払い、機関紙を買ってくれる)に過ぎない。ただ発表の場という同人の心理的弱みにつけこんで統率・管理している。
 すべての結社がそうだとは言いませんし、純粋に文学的な理想を追求しているところもあるでしょう。例えば桂信子さんのところのように1年契約しかしないというのも、いつでもどちらが断ることもできるという緊張感が保てます。しかし大部分の結社は「顧客」は増やしたいので、文学的な結びつきは二の次になっていないでしょうか。すくなくとも当初の結社創設時の師がいなくなれば、またはその薫陶を受けた人がいなくなれば、その後の結びつきはお金と権力と発表の場の確保という世俗的なものになってしまいます。こんな世俗的な集団の利益になってしまってはいないでしょうか。
 桑原武夫氏はこの辺を察知していたのかも知れません。世俗的権力の場になれば、俳句の力とは関係なく、権力を持つ人が出て来ます。そんな人が支配を始めれば「文学」とは呼べなくなってくるでしょう。

 私自身はどの結社にも属していないので、好きなことが書けます。勿論句会という単位はいくつか参加していますが、いずれも結社にはなっていません。そこで句会という単位で、機関紙を発行しています。すなわち切磋琢磨の場と発表の場が一致しています。それだけにメジャーにはなれませんが、色んな考えを持ち、また傾向的にも色んな俳句を詠む人の合同体です。だから結構1つの句会の中でも刺激はあります。今のところはこんな場で十分であり、事務局と俳句の指導者は居ても管理者は居ません。
 何となく書き始めて結論に至ったような中途半端なような状態ですが、それでも後で続けられるのが掲示板のいいところなので、一旦ここで止めておきます。


[1022] Re[1013]: 第二芸術 投稿者:未来 投稿日:2003/05/18(Sun) 16:23

至遊さん

>  私の「句あれば楽あり」にUPしました。不特定多数の人を読者として想定していませ
> んので、最後のところ一部の方には気を悪くされる方もいらっしゃるかも知れませんが
> ご容赦ください。

貴論評を読みまして、
つぶさに分析し、認める部分は認め、相容れない個所は反論反駁しと、
じつに丁寧に論じておられるとの印象を受けました。
ところで、「世襲」に関しての私の意見を展開させていただきますと、次のようになります。

短詩型文芸は日本独特の方法=集団で嗜むという、世界でも稀な在り方のようです。
集団でもの事を進めるには、内部に、どうしても主義主張の違い、分派、乱れなどを伴うでしょうから、
反作用として統一、統合などの考えが発生するのではないでしょうか。
集団内部での争いや乱れを避ける、これは人間社会に限らず群をつくる諸動物すべての「種の生存永続の知恵」でしょうから、
集団の利益を守る、そのためには、これまで善しとしてきたその「集団の生きざま」をなんらかの形で継承して行く、
さらには、自己集団が外部に対しても力を持たなければならない。
それには統一統御のための強力な力、方策を必要としましょう。
その統御統一のための一方法として、「強大だった過去の宗匠を戴く(祭り上げる)」「権限の委譲」などが必要となり、
具体策には、「一の弟子が跡を継ぐ」「世襲」などが出てくると考えられます。

なお、
そこら辺のあたり、つまり集団文芸である短詩型文芸が存続を維持して行くための在り方が、
実際の人間社会=「人の世の中」のやり方と似ていますので、
日本独特の集団主義に対して欧米は個人主義ですから、
フランス流(桑原氏流?)に言いますと集団芸術は「どうもおかしい」、
あえて言うなら「第二芸術ではないか」となったと思われますが。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1021] Re[1019][1017]: 類似句・類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/05/17(Sat) 19:04

至遊さん

> 〜略〜 後で出来た句が明らかに優れていると思える場合捨てるのが得策かいまだに疑問です。〜略〜

芭蕉は「自分の句より後でできた他者の句が優れているときは自分の句を取り下げる」と言っているそうですが・・・。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1020] Re[1019][1017]: 類似句・類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/05/17(Sat) 18:57

至遊さん

> 〜略〜 直喩というのはやはり発想としては似てきてしまうんですかね。〜略〜

直喩というよりも、季語そのものを詠みこむ(説明しようとする)と、
似たような句がたくさん出来てしまうと私は思うのですが・・・。

   荒海や佐渡によこたふ天河   芭蕉
   菜の花や月は東に日は西に   蕪村

これらの句は、季語を説明しようとしておりません。
季語は、他の情景と組み合わされているだけですね。
このような作り方の場合、うまく行けば傑作ができると思います。
しかし、失敗すれば「離れすぎ」と評されてしまいましょう。

取合せによる句作法云々はともかく、季語を説明しようとしない場合は、
類似・類想は避けられますでしょうね。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1019] Re[1017]: 類似句・類想句 投稿者:至遊 投稿日:2003/05/16(Fri) 17:00

> 鯵刺や空に断崖あるごとし
> 手裏剣の如く翡翠まつしぐら
> 投げられし風呂敷の如椋鳥空へ
> 椋鳥や空に投網を打つごとし
>
 面白いことに全部「ごとし」俳句ですね。直喩というのはやはり発想としては似てきてしまうんですかね。先に出来た方ってどっちだか分かりますか?
 もっとも私は前に言いましたように、後で出来た句が明らかに優れていると思える場合捨てるのが得策かいまだに疑問です。また類似句と類想句は少し区別したい気もしています。類似句は著作権侵害に近いのですが、類想句は境界線が曖昧なだけに、調べ始めたらキリがないという気がします。アジサシとカワセミは類想、椋鳥は類句という気がします。


[1018] Re[1016][1015]: 類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/05/15(Thu) 16:56

至遊さん

> (略)〜この類想句には否定的ですか?それともこの程度は許容範囲ですか?

さて、私はどちらでしょうか(^。^)。
たぶん私は、先に出来た句のほうを買いますね。
2番せんじは「ザット以下省略」という感覚です(-_-;)。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1017] 類似句・類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/05/14(Wed) 17:20

鯵刺や空に断崖あるごとし
手裏剣の如く翡翠まつしぐら
投げられし風呂敷の如椋鳥空へ
椋鳥や空に投網を打つごとし

などもそれぞれ異なりますが、類似・類想の範疇でしょう。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1016] Re[1015]: 類想句 投稿者:至遊 投稿日:2003/05/10(Sat) 23:34

未来さん

> 羽子板の重きが嬉し突かで立つ   長谷川かな女
> 抱へたる手毬はつかず春着の子   田川飛旅子
>
 この類想句には否定的ですか?それともこの程度は許容範囲ですか?なる程材料が
変っただけで、同じ心情を詠んでいますが、最近はこんな情景はまず見られません。
その意味で両方とも残しておきたい気持です。


[1015] 類想句 投稿者:未来 投稿日:2003/05/07(Wed) 13:17

羽子板の重きが嬉し突かで立つ   長谷川かな女
抱へたる手毬はつかず春着の子   田川飛旅子

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1014] Re[1013]: 第二芸術 投稿者:向井未来 投稿日:2003/05/03(Sat) 08:56

至遊さん

>  私の「句あれば楽あり」にUPしました。不特定多数の人を読者として想定していませ
> んので、最後のところ一部の方には気を悪くされる方もいらっしゃるかも知れませんが
> ご容赦ください。

読ませていただきました。わざわざUPしてくださいましてありがとうございました。
結社やそこでの発行誌、主宰などの世襲につきましては、現在の私の関心事でもありますのですので、あとで簡単な感想を述べさせていただくかもしれません。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1013] 第二芸術 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/29(Tue) 14:00

未来さん

 私の「句あれば楽あり」にUPしました。不特定多数の人を読者として想定していませ
んので、最後のところ一部の方には気を悪くされる方もいらっしゃるかも知れませんが
ご容赦ください。


[1012] 第二芸術 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/25(Fri) 14:51

未来さん

> > 一度反「第二芸術」論を書いたことがあります。
>
> 読ませていただきたいものです。貴HPに載っていますでしょうか?

 私のHomepageには載っていません。季刊誌に書くことが多く、実はある季刊誌に頼ま
れて書いていたら、発刊できなくなったので、別の誌に載せたものです。この論文は
色んなことを言っていますよね。だからあまり期待されても困るんですが、始めてあの
論文を読んだ時に、全体に違和感を感じました。結局全体に関して1つ1つ感想を書い
て行ったらほとんどが反「第二芸術」になってしまったという次第です。

 身内の季刊誌ですから、了解が取れれば転載しておきます。


[1011] Re[1006][997]: 旧仮名遣い 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/23(Wed) 13:52

至遊さん

> 私の使っているバスでは「このバスに関するお忘れ物やご意見・・」。せめて「ご意見」を前に持ってくれば様になるのですが。
そうですね、「バスに関するお忘れ物」ですか、変ですね。
音声放送なら聞くほうが何とか辻褄を合わせてお付き合いできそうですが、テロップでは文法とか修飾とかに気を配っていただかないことには・・・。

> 終点に着く時になって「皆さん永らくお待たせ致しました」と来ます。変に思いません?
皆さん全員が始発停留所から乗ったものと勘違いしている・・・(^.^)。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1010] Re[999]: 類似・類想 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/23(Wed) 13:22

至遊さん

>> 〜ゴッホだってあれだけミレーの絵を模写したからこそ、あのタッチに到達したんでしょうから。
>桑原武夫は『第二芸術論』の中で、「絵画のような他芸術を引用して論じることはそもそも(俳句に)主体性がない証拠だ」というような意味のことを言っていますが・・・。

[998]では私が突っ込みを入れてしまったような具合になってましたですね(-_-;)。すみません。


> 〜 それは桑原武夫の間違いだと思っています。〜
> 〜例えばリズムということで音楽を引合いに出してもいいでしょうから。

そうですね、譬え話をするときは普通、身近な、誰にも分かりやすい事がらを引用してきますよね。

桑原武夫が雑誌に載せた『第二芸術』で指摘しました際、水原秋桜子を引き合いに出してまして、
「秋桜子が、絵画に学べ、と教えている。〜略〜 一つのジャンルが他のジャンルに心ひかれ、その方法を学ばんとすることは、〜略〜 常にその芸術を衰退せしめる〜略〜」
としたのは、一理はありましょうが極論と思います。
ただし、桑原武夫が指摘したかったのは、現代俳句は正岡子規の、絵画の「写生」の方法をとり入れたことから始まりましたので、
「現代俳句批判」としてあえて(秋桜子の)「絵画に学べ」を取り上げたのではないでしょうか。
また、秋桜子の代になってもまだ絵画的方法論を振りかざしているところが「俳句に進歩発展がない所以だ」、としたかったのではないかとも思います。

なお、譬え話の例として、実際の景色を見ていながら、あるいは写真を見ていながら、
「絵のように美しい」「絵に描(か)いたようだ」という言い方があります。
これは画家の描く作品は、風景画であっても実際の風景にある程度画家の主観を混じえ、より美しく表現するからだと考えますが。
同じく「音楽のようにきれいだ」も、別のものを引用してきた譬えでしょうね。
いずれも日常よく使われる譬えです。
やや異なりますが譬えとして、「まるで夢のようだ」という言葉もあります。


> 一度反「第二芸術」論を書いたことがあります。

読ませていただきたいものです。貴HPに載っていますでしょうか?

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/


[1009] Re[1005][1002]: 船団の会『初夏の集い・2003』 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/04/22(Tue) 19:05

> 至遊さん

> > ― 詩人(余白句会) vs. 俳人(船団の会)―
>
>  「余白句会」どこかで聞いた名前だと思っていましたら、八木忠栄さんに一度私の編集
> している「パスカル」という季刊誌に投稿して頂いたことがあります。世の中結構狭い
> ものですね。
>  バトルとはいえ、当日あまりいじめないで下さい。

いじめるどころか、
横綱の胸を借りるつもりでおります。

よろしければ、おいでくださいませ。

では


[1008] 百花さん 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/04/22(Tue) 18:54


久しぶりでお会いできて嬉しかったです。
百花さんの句。とても好きでした。

> 早々とお酒が入って、いらぬことを口走っていたのではと、心配してます。

そのようなご心配なさいませんように。
わたしも早々と飲み始めて
ほとんど、自分の言動をおぼえていない有様です、
楽しい集まりでしたね。
また、お会いできる日を楽しみにしております。


[1007] Re[1003]: 『花篝展』のご案内 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/04/22(Tue) 18:50

> 満月さん

おひさしぶりです。お元気そうですね。

> 地元福岡で、友人とのイラストレーション二人展、
> 『花篝展(はなかがりてん)』開催中です。

ステキですね。近くならば是非見に行きたい!!
満月さんに描いていただいた絵葉書はとても
好評でした。
時々、サイトも拝見させていただいています。
ますますのご活躍を。

ではでは


[1006] Re[997]: 旧仮名遣い 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/22(Tue) 15:13

未来さん

 確かに「伊豆の踊子」なんかは、あまり旧かなか、新かなかは意識しないで読んだと
思います。その点では私も両刀使いの世代と言えます。中で読めても絶対使えないのは
「言はう」でしょうね。「ぢ」と「じ」の区別とは違って、音からすぐ浮かんで来ませ
ん。いずれにしても旧かなを使おうとすれば、文法的に間違った使い方をしてしまう
でしょうね。
 よく俳句は伝統文芸であると言われますが、確かに伝統もありますが、今生きている
文芸でもあり、今後も生かし続ける必要もあります。少なくとも今の日本語を正しく
書ける人を多く残したいですね。テレビのテロップの間違いの頻発や、バスや駅の録音
されたアナウンスの中に変な日本語があふれています。
 私の使っているバスでは「このバスに関するお忘れ物やご意見・・」。せめて「ご意
見」を前に持ってくれば様になるのですが。そして終点に着く時になって「皆さん永ら
くお待たせ致しました」と来ます。変に思いません?


[1005] Re[1002]: 船団の会『初夏の集い・2003』 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/22(Tue) 14:43


> ― 詩人(余白句会) vs. 俳人(船団の会)―

 「余白句会」どこかで聞いた名前だと思っていましたら、八木忠栄さんに一度私の編集
している「パスカル」という季刊誌に投稿して頂いたことがあります。世の中結構狭い
ものですね。
 バトルとはいえ、当日あまりいじめないで下さい。


[1004] 三宅やよいさん 投稿者:山崎百花 投稿日:2003/04/21(Mon) 23:04

久しぶりでお会いしたのに、こちらからご挨拶いたしませんで、失礼いたしました。
早々とお酒が入って、いらぬことを口走っていたのではと、心配してます。
またお会いできますこと、楽しみにしております。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/3788/


[1003] 『花篝展』のご案内 投稿者:満月@わかめや 投稿日:2003/04/21(Mon) 19:28

お久しぶりです。
宣伝です(^^;

地元福岡で、友人とのイラストレーション二人展、
『花篝展(はなかがりてん)』開催中です。
わたくし イラストレーターいりえ・わ・かめは
池田澄子さんの句を使わせていただき、オイルパステル画と
書による構成の作品を出展しています。
澄子句のファンの方もぜひご覧下さい。

場所:福岡市中央区赤坂3丁目(けやき通りケンタッキー前)
   Ba-Cafe ペンタグラム

会期:4/20〜5/18  ゆっくりあります(^^)

出展者:えりこ.N
    いりえ・わ・かめ+池田澄子(俳句提供)

販売もしております。
どんたく期間もやってますので、博多へお越しの節は
ぜひお寄りください。

http://homepage3.nifty.com/IllustrationWAKAMEYA/2ten.htm


[1002] 船団の会『初夏の集い・2003』 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/04/20(Sun) 08:53


では、私も宣伝です。

5月31日 東京都庭園美術館大ホールで
句会バトル
― 詩人(余白句会) vs. 俳人(船団の会)―
が催されます。

お暇な方は
おいでくださいませ。

http://sendan.kaisya.co.jp/shoka03.html

ではでは


[1001] Re[1000]: 定期更新報告です 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/04/20(Sun) 08:50

>あいおいさん

おはようございます

> あまり訪ねてくださる方もいないので、宣伝です。
> 4月の句を定期更新しました。

ありがとうございます。拝見しました。
毎月きちんと更新されているのですね。
宣伝の書き込みどんどんしていただけると嬉しいです。

> 場違いな気もするのですが、
私もセブンティーンですから勇気をだして、書き込みです。

これからも、また遊びに来てくださいね。

ではでは


[1000] 定期更新報告です 投稿者:あいおい 投稿日:2003/04/19(Sat) 18:45

こんばんわ

あまり訪ねてくださる方もいないので、宣伝です。
4月の句を定期更新しました。

場違いな気もするのですが、私もセブンティーンですから勇気をだして、書き込みです。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom-Tulip/6953/


[999] Re[998][996]: 類似・類想 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/18(Fri) 17:50

未来さん

> 桑原武夫は『第二芸術論』の中で、「絵画のような他芸術を引用して論じることはそもそも(俳句に)主体性がない証拠だ」というような意味のことを言っていますが・・・。

 確かにあの論文の中にそんなことがあります。でもそれは桑原武夫の間違いだと思って
います。どんな芸術を引合いに出そうが、それが自分の属する分野を貶めることにはなら
ないと思っています。例えばリズムということで音楽を引合いに出してもいいでしょうか
ら。一度反「第二芸術」論を書いたことがあります。


[998] Re[996]: 類似・類想 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/16(Wed) 19:46

至遊さん

> 〜、直接関係者に決着をつけさせるのは、文学の道から外れそうな気がします。

年間何十も何百も類似が出る集団芸術であります俳句の場合は、初めは関係者による解決を試みるのが最良ではないでしょうか。
関係者でないと無数の類似に気付かないと考えられますので・・・。


> 〜もしかすると両方とも生き残ったり、両方とも忘れられたりということも考えられます。

時間が経つにつれ争い事を好まなくなるのが日本的慣習ですから、両方とも生き残ることはないと私は考えます。両方とも忘れられるほうが自然、と私は思います。
しかし最近、世界的常識感覚を大切にする風潮が日本に定着しつつあることでもありますから、双方の句を常に事あるごとに併記して論じるべきと考えます。
そのような方法により将来は、俳句界でも著作権が尊重されることになろうと考えます。


> 〜ゴッホだってあれだけミレーの絵を模写したからこそ、あのタッチに到達したんでしょうから。

桑原武夫は『第二芸術論』の中で、「絵画のような他芸術を引用して論じることはそもそも(俳句に)主体性がない証拠だ」というような意味のことを言っていますが・・・。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[997] 旧仮名遣い 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/16(Wed) 17:53

至遊さん

先日調べ事があって、私がときどきおじゃましています信太一郎さんという方のHPに行きましたところ、
『「なぜ「ぼくはうなぎだ」と言えるのか?』(アドレスは↓です。)に、
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/ha.htm
次のように、川端康成の『伊豆の踊子』の文章が引用されていました。

 ─ はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきつと閉ぢたまま一方を見つめてゐた。私が縄梯子に捉まらうとして振り返つた時、さよならを言はうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなづいて見せた。─

この引用された一節の文章中だけでも、旧かな遣いはたくさん出ていまして、
たとえば、
「きつと」の促音「つ」は新仮名遣いでは「きっと」と小さく書きますし、「閉ぢた」は「じ」ですし、「ゐた」は「いた」、「捉まらう」は「捉まろう」などです。

私が『伊豆の踊子』を読みましたのは10代後半で、そのときは何も不自由に思わないで読んだらしく、読みにくかったなどの記憶がまったくありませんでした。
そこで先日信太さんの引用を読んで驚き、改めて煤けてしまったその文庫本を引っ張り出して調べてみて、更にびっくり。
見事に全部旧仮名遣いで書かれていたのですね。さらに同じく、同文庫本に載っている『温泉宿』という短篇を確かめましたところ、旧仮名でした。
いやあ、しょうじきいっておどろきました。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[996] Re[995][994]: 類似・類想 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/13(Sun) 23:02

未来さん

 多分、直接関係者に決着をつけさせるのは、文学の道から外れそうな気がします。
甲子園の勝ち抜き戦のようにその場で勝ち負けを決めるより、多くの読者の目に触れ
ることによって、自然に何時の間にか決着が着いているというのが、文学の価値の
決め方としてはまっとうな気がします。もしかすると両方とも生き残ったり、両方
とも忘れられたりということも考えられます。
 直接の関係者の場合、周囲の人も含めて力関係で決まってしまいますから、正直
な評価とは言えないでしょう。挙げられていた子規と虚子、虚子と鬼城の場合、
相手を潰すことが目的ではないから、同じ比較でも全く違います。それにしても
子規は大変なことを言っているんですね。私なんか「閑さや」とか「ほろほろと」
と聞いただけで、芭蕉が浮かんできて取れなくなってしまうんですが。確かにある
程度真似をしないと語彙も増えません。ゴッホだってあれだけミレーの絵を模写
したからこそ、あのタッチに到達したんでしょうから。


[995] Re[994]: 類似・類想 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/12(Sat) 09:51

至遊さん

追記です。
> 「風吹いて」のほうは子規が、「桐の葉が落ちる」ほうは虚子が評していたのだったと思いますが。

これは[993]の、「今後は直接関係者のあいだで、じっくりと吟味されるべきものと考えます。」
とは関係がありません。(両者がそのように評しあうべきという意味ではありません。)
師弟の関係だけで出来得る話でしょうから。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[994] 類似・類想 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/12(Sat) 09:40

至遊さん

   風吹いて鬼迯(にげ)てゆくけはひあり   正岡子規
   風が吹く仏来給ふけはひあり     高浜虚子

   桐一葉日当りながら落ちにけり     高浜虚子
   桐の葉のうら返りして落ちにけり    村上鬼城

これらの句につきまして、確か比較しながら評をしていたのを読んだ記憶がありますが、定かではありません。
「風吹いて」のほうは子規が、「桐の葉が落ちる」ほうは虚子が評していたのだったと思いますが。

結論はどちらも、「それぞれ良さがある」ではなかったかと思います。
そもそも子規は『俳諧大要』の中で、
先人の作の半分ぐらいのフレーズを借用して作ってみるのも一方法だと勧めているんですね。
実作練磨のためなら、という意味でしょうけれども。

ではまた。   

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[993] Re[992]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/10(Thu) 17:31

至遊さん

> 〜櫂さんのクレームに対して、クレームをつける人がいますね。〜

少なくとも「クレーム」ではないと思います。
では別の言葉では、「批評」「反論」でしょうか? よく分かりませんが。


>  気になるのはこのお2人の作品のどちらが優れているかを議論しているのには、まだ
> お目に掛かっていないところです。個人的好みから言えば、櫂さんの句の方ですが。

今後は直接関係者のあいだで、じっくりと吟味されるべきものと考えます。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[992] Re[991][989]: 類似句 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/07(Mon) 14:38

未来さん

 引き下がった方は奥坂まやさんです。私もこれは天晴れだと思っていましたが、櫂さん
のクレームに対して、クレームをつける人がいますね。俳句で先に言葉を使ったからと
いって、著作権的な権利を主張すると、俳句のような短詩では不都合が起こる。「本歌
取り」が短歌の世界で許されているが、もし古人の名作を利用するのを本歌取りという
のであれば、今風に「パクリ」と言ってもいい。その「パクリ」も言葉を借用しただけ
で、発想は別のところにあるのなら許されるべきだと。

 気になるのはこのお2人の作品のどちらが優れているかを議論しているのには、まだ
お目に掛かっていないところです。個人的好みから言えば、櫂さんの句の方ですが。


[991] Re[989]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/05(Sat) 11:09

至遊さん

櫂未知子さんの件、ありがとうございます。
著作権や独創性は大事にされるべきですから、先に発表したと客観的に認められる場合の抗議は大いに賛成ですね。
また、知らずに発表しても、後での発表の句が優れていると大せいで認められるなら、
歳時記編纂の際に編纂委員の方々は留意して然るべきでしょう。

ただ普通は、高名作者と無名作者の作品が比べられる場合は、どうしても高名作者のほうが「全般で実力あり」とされるせいか、
たまたまその1句の秀句を手柄とした無名俳人のほうは、不利に扱われやすいですね。
今後はそんなことがないように日本の世も変わってくるとは思いますが・・・。

櫂さんのケースではどちらも中央で活躍する有名作者でしょうから、
引き下がったほうの作者のかたも天晴れだと思います。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[990] Re[987]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/05(Sat) 10:53

至遊さん

>   流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
> を季語の説明をしているだけ、と解釈するのには賛成し兼ねます。〜略〜。

   〜流派によって「採る」「捨てている」の温度差があることを言いたかったのでしたが・・・。
     流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
     流灯の一つが急に横走る       幸治燕居
   おっしゃるとおり、間違いなく2句は類想・類似句でしょうね。
   類似か類想か区別ができないほど似ていると思います。
   観察していれば双方ともあり得る光景でしょう。川の流れの緩急の差によって、
   あるいは川の流れの場所によって起こり得る事実でしょう。
上記は↓の〔978〕番からのコピーです。

たぶん幸治燕居氏の作品は後から作られたと思うのですが、飯田蛇笏の句は歳時記にも載っていますから、
知らずつくったのでしたらその時点での発表も仕方がありませんでしょうね。
いずれ、私は類似句だと思います。

たとえば歳時記に載っています次の句、
  灯篭のわかれては寄る消えつつも    臼田亜浪
  ただよへる流灯ひとつづつの闇     藪内柴火
  流灯の列みて潮の流れ知る       橋本美代子
よく見られる光景と思いますから、写生技法で詠まれたと考えます。
このような場合、先に詠んだほうに独創性、著作権があると思います。

それにくらべますと、同じ歳時記から、
  流すべき流灯われの胸照らす   寺山修司
  人ごゑの風にかも似て流灯会   岸田稚魚
らの句のほうは類似を避けていると考えます。

飯田蛇笏は写生・花鳥諷詠を守った流派でしょうから、写生技法によって生まれる句は、
後でいくらでも類似・類想句が出てくるのでしょう。

しかし、歳時記に載っている諸句の、いずれも優れた語句の駆使に、改めて感心してしまいます。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[989] Re[988][987][986][985]: 類似句 投稿者:至遊 投稿日:2003/04/02(Wed) 18:15

未来さん

 櫂さんは抗議をされて相手の方は(ちょっと名前は忘れました)、類想ではなく、櫂さん
が水中花という本来生き物ではないものを取り上げているのに、自分は兜虫という本来
生きているものの死骸を取り上げたので、全く別の発想だとしながらも、形がここまで
似ているから自分の句は消す、と返事をされたそうです。
 簡単ないきさつが「俳句研究」4月号にも載っています。だから自宅へ戻れば相手の
方の名前も分るのですが、ここでは名前が問題ではないですよね。


[988] Re[987][986][985]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/04/02(Wed) 13:58

至遊さん

> 〜略〜。その意味では前に書かれていた櫂未知子さんのやり方はすっきりしますね。両方にとって。

↓の〔971〕番でいとう岬さんが少しふれられておりますが、
櫂美智子さんの「いきいきと死んでゐるなり…」の句が、
どなたかだったか有名女流作者の作品とかち合ったという話を聞いていますが、
詳しくは知りませんでした。
俳句総合月刊誌にいきさつが載ったとのことのようですが、
櫂美智子さんが「積極的に動いた」とはどういうふうになったのでしょうか。
抗議を申し入れたということでしょうか。
また、その結果どうなったんでしょうか? 教えてください。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[987] Re[986][985]: 類似句 投稿者:至遊 投稿日:2003/03/30(Sun) 17:44

未来さん
 勿論、こんな本意を一々気にしていたら、梅は詠めなくなります。今年だけでも
何人を「ゆかしく」思ってしまったことになるでしょう。同じ意味で
  流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
を季語の説明をしているだけ、と解釈するのには賛成し兼ねます。「流灯」にそこ
までの意味は持たせたくありません。蛇笏は本来なら上流から下流へゆっくり流れ
下るはずの流灯が、急にさかのぼって来たのは驚きだったと思います。やはり遡る
のは不自然な動きです。単に流れて行けば常識の範囲で、遡ったから発見になった
のでしょう。皆同じような経験もしていると思います。ただそれを表現しなかった
から、蛇笏に言われてみて初めて、自分も見たような気になったのだと思います。
 それに較べて「横走る」の方は、この句が下敷きにあったと考えれば、別にパロ
ディになっている訳でもなく、方向がやや違うだけで同じことを詠んでいます。だ
からこれは下敷きを知らずに詠んだとしか思えないのです。だから詠んだ時点では
作者に非はなく、その後の処置の取り方でしょうね。その意味では前に書かれてい
た櫂未知子さんのやり方はすっきりしますね。両方にとって。


[986] Re[985]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/03/30(Sun) 09:46

至遊さん

おっしゃるように、本意・本情の範囲は難しいですね。自然現象関係だけに絞るわけにも行きませんでしょうし。
俳人みんなによる昔からの了解事項だ、なんていうことにしましても、時代の経過とともに変わってくるでしょうし。
本意の範囲とは関係なく、「深読み」というのもよく聞く言葉です。
ご掲出の蕪村の句の例のように、そこまで本意の範囲を拡大することにしますと、
鑑賞者あるいは句会同席者に、相当の教養・素養が要求されましょう。
そうなるともうこれは教養合戦みたいなもので、同レベルの方々でしか「句座」がなりたたなくなりそうですね。

となると、逃げるみたいですが「流派の違い」とするか、または素養度の差異による「句会仲間のあいだでの問題」となりましょうか。
素養・教養の深さに重きを置きますと、昔の貞門のころの俳句みたいに、
掛け言葉などのように二重三重の隠された意味を持つ語句、故事来歴に基づく語句などを駆使した、単なる記憶力・勉学歴を誇る教養合戦に陥ってしまいそうです。
句会といえども、「創造力が活かされるような場」であってほしいと願いますね。

なお持論としまして、そのようにいろいろ学ぶべきことがたくさんあるので「俳句は奥が深い」とする俗見には賛成しかねております。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[985] Re[976][961]: 類似句 投稿者:至遊 投稿日:2003/03/29(Sat) 16:52

未来さん
 かなり遡っての話ですが、下の文で本意(ほい)ということをおっしゃっていました
が、今ひとつ取り入れ切れない(というより知らない)のです。

> > 「流灯」という季語の中には、にわかにさかのぼったり急に横に走ったり、という有り様も含まれる。
> また、手波を加えて送り出したり手波で闇へ送り出したり、という光景もよく見かける。
> ということで、流灯つまり「季語を説明しているだけ」の表現として、あまり高く評価しないことになるのでは・・。

> > たとえば、「湯豆腐」という季語の場合は、
> 湯気の向こうに美味しそうに食べる誰々の顔が浮かんで見える、あるいは囲む楽しそうな友人の顔が透けて見える、
> ということを詠んだんでは、「季語の説明に終わっている」、湯豆腐というものはそもそもそういうもので、
> 季語の中にすでに含まれている情意・情景で、昔から多数詠まれてきた。初心の者が詠むには仕方がないだろうが・・・、

 私が聞いた本意というのは、例えば「梅の花」なら「その梅を持つ主をゆかしく
思う」ということが本意として入っているようです。これは和歌の時代からの流れ
でしょうね。だから目に見える情景・行動以外に、とんでもない「本意」を先人は
含ませているかも知れないのです。だから
  白梅や誰が昔より垣の外   与謝蕪村
は「昔の恋人が垣の外に立っている」と解釈する向きもあるとか。普通は梅の木が
庭にあって、そこに住む人をゆかしく思うんですがね。


[984] コーヒー休憩 投稿者:未来 投稿日:2003/03/27(Thu) 17:10

応々と云へど叩くや雪の門        向井去来
をうをうと蜂と戦ふや小百姓      村上鬼城
おうおうと男掛声都踊            山口誓子
おーおーと一歳児東北梅雨上がる    小林晋子
おうおうと背の子のくや冬の虹     上田明弥

これはやはり、向井去来の句を称えた「挨拶」の意味が強いのではないでしょうか。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[983] Re[982]: コーヒー休憩 投稿者:未来 投稿日:2003/03/25(Tue) 09:44

パロディ句や物まね句=お遊び句でも、上手下手がありますね。

  猟銃を持たせてもらひすぐ返す     藤田湘子
を元句としますと、この句のポイントは「すぐ返す」にあると考えられますから、
  竹婦人抱かせてもらひすぐ返す   能村登四郎
は、「すぐ返す」を活かし、猟銃とはまったく別の竹婦人を配したパロディで、じつに上手くできていると私は思います。

  猟銃の重くてすぐに返しけり       鈴木鷹夫
は、実力者鈴木鷹夫氏(パロディ句の実力者の意味ではありませんが)も、残念ながらこの句に限っては不出来だったと思います。
猟銃が重いのは当たり前ですから、17音という短い中にわざわざそれを説明する必要はないわけです。
小さい子供だったら重くてすぐ返すと思いますが、それにそんな小さな子供には、危ないものは触らせないように躾ましょう。
季語を説明しただけで終わった句と思います。藤田湘子氏の句は、季語をまったく説明しておりません。
(なお、私の所持している歳時記に「猟銃」という季語は傍題としても載っていませんが。)

  猟銃を抱かせてもらふ桜の夜       鳥居真里子
これはまったくの「遊び」で作ったものと思われます。
藤田湘子氏の句と能村登四郎氏の句を知っていて、両方を混ぜて遊んでみたのでしょう。
桜という季語を加え、季節を春にもってきております。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[982] コーヒー休憩 投稿者:未来 投稿日:2003/03/23(Sun) 13:26

猟銃を持たせてもらひすぐ返す  藤田湘子
竹婦人抱かせてもらひすぐ返す     能村登四郎
猟銃の重くてすぐに返しけり       鈴木鷹夫
猟銃を抱かせてもらふ桜の夜   鳥居真里子

たしか藤田湘子氏の句が一番先のはずで、あとの方々はその句を知った上での試みだと思います。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[981] Re[980]: コーヒー休憩 投稿者:至遊 投稿日:2003/03/21(Fri) 23:58

>    巻き貝を巻き戻さうかとも思ふ   柿本多映
>    捩花を巻き戻さうかとも思ふ     山根 尚

    寝釈迦像を起こしてみようかとも思う  福山至遊
  この位の開きがあった方がよくありませんか。どうしても「思ふ」と書けない
 私です。牙城さんお待ちしてます。


[980] コーヒー休憩 投稿者:未来 投稿日:2003/03/20(Thu) 11:44

   巻き貝を巻き戻さうかとも思ふ   柿本多映
   捩花を巻き戻さうかとも思ふ     山根 尚
いずれも平成9年中の俳句総合誌からメモしていたもので、どちらが先かはメモでは不明です。
あとで作った作者は、たぶん完全にパロデイーとして試みたと考えますが・・・。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[979] Re[961][969]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/03/17(Mon) 10:00

至遊さん

> 〜(略)〜 斎藤梅子女史は、類句でも類想でもないと言い切っています(俳句朝日
> 2002/10)。〜(略)〜
>  序に面白いものを同じ号で見つけました。稲畑廣太郎さんが、虚子・年尾・汀子
> 3代の句として、同じ季語を使って詠んだ句を並べてあったのですが、
>   取敢へず松茸飯を焚くとせん   虚子
>   とりあへず松茸飯にせんと思ふ  年尾
>  親子だから知らなかったとは言わせませんが、これもありですかね。

>  本来、主宰の世襲には疑問を抱いています。しかしその上に俳句そのものまで世襲
されたら、創造性が消えると同時に、いつも多分類句・類想を戒めてきているであろう
主宰の方が自分で禁を犯すことになりませんか?


1句1句の中身まで世襲するという解釈はありえないと思います。句風や傾向を受け継ぐことはありえましょうが。

結社の主宰や俳誌の世襲は、私も異質世界の話だな思っています。
戦後の民主主義教育を受けたからだと思いますが、私ばかりではなしに戦後に教育を受けた世代では、
大半の方々が世襲を好ましく思っていないのではないでしょうか。
また、歌舞伎とか能楽、狂言、あるいはまた茶道、華道など、日本の古典芸能としてすでに地位を安定させているものや、
家元制度が揺ぎないものになっている芸事・嗜み・行儀作法を伝授する世界は、
これは何百年もの伝統ある社会であり、世界的にも日本文化として認められているのですから、
反対だとか、そうあるべきではないから改革しましょうとか、そんなことは不可能な世界と考えます。

ご存知のように高浜虚子の生家は代々能楽を継いできた家系であったようでありますから、
現在でも伝統、継承などを大事にし、世襲などに関しても周囲がさわぐほどには気にしていないかもしれませんですね。
考えてみれば「歌舞伎」は、出雲の巫女であった「お国」が試みて大当たりをとった芸能であるようですが、
長い歴史の中で、いつの間にか世襲制度が確立されてきています。必ずしもお国の子孫に引き継がれてきたものではありませんでしょうが・・・。

お茶やお花の稽古事は庶民の間に広がって、日本文化の根底を国民全体で支えておりますが、
歌舞伎や狂言などの芸能は、一種の特権を持つ家系の方々しか出演できませんから、大衆的人気は衰えざるをえないのでしょう。
それをカヴァーするため歌舞伎役者さんや狂言師のみなさんは、映画に出演したり、テレビドラマで活躍なさっております。

いずれ日本は、イギリスやヨーロッパで行われてきた、世襲制度を取り入れることに民族性が向いている(合っている)と思います。
しかし、私ら戦後に教育を受けた世代は、アメリカ流の民主主義、能力主義をたいへん好ましいものと考えているでしょう。
私は組織システム信奉主義者でなく、個人能力称賛賛成論者です。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[978] Re[977]: 諦める…!? 投稿者:向井未来 投稿日:2003/03/17(Mon) 07:00

いとう岬さん

> 〜(略)、いうなれば季語派と写生派の違いですか。単純に眺めれば僕には、類句・類想句そのものにしか読めませんが、〜(略)

流派によって「採る」「捨てている」の温度差があることを言いたかったのでしたが・・・。
   流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
   流灯の一つが急に横走る       幸治燕居
おっしゃるとおり、間違いなく2句は類想・類似句でしょうね。類似か類想か区別ができないほど似ていると思います。
観察していれば双方ともあり得る光景でしょう。川の流れの緩急の差によって、あるいは川の流れの場所によって起こり得る事実でしょう。


> 〜(略)俳句は季語を使った時点で3分の1は手あか(?)のついた言葉。それが何万という俳人によって、その数十倍、数百倍とつくられていくから似た子が生まれないほうが不自然かも知れませんね。

百年も2百年も前の俳句については、類似・類想句は優れた句が残っていないのか、現代ではまったく問題にされていないようです。
(ただし、当然類似・類想問題は昔からあったようで、たとえば蕪村にしても類想を避けるテクニックみたいな詠み方を、お弟子さんにコーチした句・文を読んだことがあります。詳しくは忘れましたが、徳利を下げて酒を買いに行くというような、風雅な(^.^)情景の句だったと思いますが。)
ということは類似・類想問題が起こった句は残っていないのではないか、と私は考えます。
あるいは優れた一方の句だけが残っていて、類似・類想問題があったことは分かっていても、俳句界全体が意識的に触れないことにしているのかどうかは知りませんが・・・。
「〜明治は遠くなりにけり」の句にしましても、出来たのは大正4、5年頃だったようですが、現在、平成も15年も経ちますと元号が遷ったという感懐、昭和も遠くなったなあという思いも薄らいできますね。

俳句の場合は、季語は個人が変えることのできない伝統の本意・本情があるということで、手垢がついていようがいまいが「厳然として在る」ものとされています。
これも、勝手に本意を変えないように俳人集団(俳句界)が守ってきた(あるいは守っている)、じつに日本的、組織優先的な考え方に基づくものでしょう。(時々、大転換の試みはなされますけれども。)


> 〜(略)〜 確率からいったら、季語の制約がない川柳のほうが類句は少ないはずなのに、残念ながら川柳もまだ多い。〜(略)〜自覚にまかせるしかないのか、諦めるしかまいのか、どうなんでしょう。

類似・類想問題は、双方の作者が存命なさっている間に(あるいはどちらかがお亡くなりになっていたとしましても、流派=結社の方々が異議申し立てをするでしょう)起こるものでしょうから、どちらが先に作られたかの判定は易しいと考えられます。
ですから大いにアピールすべきです。
日本は組織優先、個性埋没の社会が長かったので、自作のアピールには慣れておらず、気後れしたり遠慮したりしていたのでしょうが、相手が高名作者でこちらが無名でも、知的財産、著作権は守られなければなりませんから、どんどんアピールすべきと思います。
遠い将来、双方の句が忘れられることにはなったとしましてもです。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[977] 諦める…!? 投稿者:いとう岬 投稿日:2003/03/16(Sun) 16:02

二健さん
二健さんのふんどしに目かくらんで、ついひっかかってしまいました。
締めて諦めて、ね。二健さんらしくない…。


>   流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
>   流灯の一つが急に横走る       幸治燕居

なるほど、いうなれば季語派と写生派の違いですか。単純に眺めれば僕には、類句・類想句そのものにしか読めませんが、俳句は季語を使った時点で3分の1は手あか(?)のついた言葉。それが何万という俳人によって、その数十倍、数百倍とつくられていくから似た子が生まれないほうが不自然かも知れませんね。
 確率からいったら、季語の制約がない川柳のほうが類句は少ないはずなのに、残念ながら川柳もまだ多い。どこまでが類想でどこからがオリジナルかという線引きは可能なのか、自覚にまかせるしかないのか、諦めるしかまいのか、どうなんでしょう。
 俺に似ろ俺に似るなと子を思い  
などという川柳もありますが…。

http://www9.ocn.ne.jp/~msk222/


[976] Re[961]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/03/15(Sat) 15:30

>   流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
>   流灯の一つが急に横走る       幸治燕居
>  この2句は類句・類想のどちらでしょうか。それともどちらでもないんでしょう
> か。

むろん結社によって作品評価の基準が大きく違いましょうが、
仮に、季語の本意・本情を大事にする流派のとらえ方は、次のようになるのではないでしょうか。

「流灯」という季語の中には、にわかにさかのぼったり急に横に走ったり、という有り様も含まれる。
また、手波を加えて送り出したり手波で闇へ送り出したり、という光景もよく見かける。
ということで、流灯つまり「季語を説明しているだけ」の表現として、あまり高く評価しないことになるのでは・・。
あるいは、父の(魂を載せている)灯篭が周りよりも早く去ってゆく、
(去年亡くなったばかりの)母の(魂を載せている)灯篭はまだ近くにとどまっている、
なども昔から表現され尽くしている、として評価が低くなる。

たとえば、「湯豆腐」という季語の場合は、
湯気の向こうに美味しそうに食べる誰々の顔が浮かんで見える、あるいは囲む楽しそうな友人の顔が透けて見える、
ということを詠んだんでは、「季語の説明に終わっている」、湯豆腐というものはそもそもそういうもので、
季語の中にすでに含まれている情意・情景で、昔から多数詠まれてきた。初心の者が詠むには仕方がないだろうが・・・、
となりそうなのです。

しかし、句作手法の原点に「写生」を据えている流派では、季語・季題そのものに切り割って詠み込んでゆくことは忌むべきこととしない、
のではないでしょうか。

ということで、類句・類想句が出た場合、季語を説明しているだけの平凡な句と見たら双方に価値を認めない流派。
反対に写生流派なら、同じことを似た表現あるいは似た言葉で詠んでいるときでも、
より表現力に勝るほうを、より巧みな言葉使いをしているほうを「採る」または「残す」ことになるのではないでしょうか。
そして、
季語の本意を大切にしている流派は捨ててきている句なのに、写生流派の誰かがそのような句で大賞を得たとか歳時記に載ったとか、
わが派は捨ててきているのに、別派の高名大家が自句集に似たような句を載せたら秀句として論評されている、
などとなったときに類句・類想句問題が起こるのではないでしょうか。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[975] 温泉慕情 投稿者:二健 投稿日:2003/03/13(Thu) 07:03

やよいさん、丁重に高評たまわりまして忝いです。温泉はいいですね。平和の源です。二日目に牙城さんに連れられて行ったあさしな温泉穂の香の湯で湯船に浸かっていますと、うら若き女性が入ってきて、洗い場を縫って歩いて備品の点検などに勤しんでました。しかし係なんですから違和感がありませんでした。するってえと女湯には男性の係が行ったのかなと勘ぐりたくなります。吟行句会でしたから、その場で「ももひきのじいちゃん春の浅間山」と一句捻りました。大方はお年よりでしたので。句会に出したらは笑われたのがおちでした。やよいさんは天狗のオッカケやられてますのでご多幸間違いなしです。あの時は時間忘れてかなり超過してしまいました。いつもお見苦しくってすいません。拙句「亀鳴くやふんどし締めて諦めて」は岬さんも同じ誤記をなさいました。わざと締と諦を並べて紛らわしくしたのでした。皆さんまんまと罠にかかってくれました。諦めが肝心なのでした。朗読によって見えてくるものがありますよね。オーバーアクションでなくても、みず季さんのように郷愁をそそる宜しさが出せることも知りました。つねに「俳」なる概念を考えていきたいものです。

http://6112.teacup.com/samurai/bbs


[974] 管理者様へ 投稿者:有谷まほろ 投稿日:2003/03/13(Thu) 00:11

リンク掲載を確認しました。ありがとうございます。

名前の読み仮名を忘れておりまして、失礼しました。
「ありたに」と読んでください。

それでは。

http://user.shikoku.ne.jp/camry/kukai/index.html


[973] 訂正 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/03/12(Wed) 21:05

>亀鳴くやふんどし締めて締めて

>亀鳴くやふんどし締めて諦めて

です。この頃老眼がひどくなってきたようです。(汗)
二健さん、すみません。


[972] Re[970]: 事後挨拶 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/03/12(Wed) 21:02

>二健さん

こんばんは

「朗読火山俳」ではご挨拶も申し上げずに失礼しました。

「火山俳」の朗読の熱の冷めやらぬうちに、山奥の温泉に行きました。
チェーンを持っていなかったので、路をあがるにつれ雪深くなるのに
こわい思いをしました。爺婆の営む温泉は人も少なく、ゆっくりと湯に
つかり都会での垢をおとしてきました。

二健さんの天狗。拝見しました。これで3回目ですが、身を捨てた俳味に
ますます磨きがかかり、朗読の場に二健天狗が現れることで場の空気が、
ふっと変わるのがわかります。いよいよ過激に天狗道を貫かれることを
期待しております。

>梅が咲くから仰々しい弁当なのだ
>天井が底なし沼だ
>亀鳴くやふんどし締めて締めて

朗読という場は、一瞬にして消え去るがゆえに
読み手と聞き手が気持ちを合わせて作り出す
幻想の広場のようなものだと強く感じました。
読み方によって作品の立ち上がり方に変化が出て、
言葉が様々な表情を見せるも魅力的でした。
二健さん、藤原さん、櫂さん、島田さん、目黒さん。
私の拝見した方々はみな自分の作品の特性を
知り尽くし、シチュエーションを作り出すうまさに舌を巻き
ました。その多様なシチュエーションに
俳句の可能性を重ね合わせてみると、
「俳」とは何と柔軟で幅広いものなのでしょうか。

また、サムライにお邪魔いたします。

では






[971] 類句、その他 投稿者:いとう岬 投稿日:2003/03/12(Wed) 19:44

二健さん、牙城さん、その節は…。

皆さま、お久しぶりです。
いま、机の上に「会員辞退届け」という封書があります。僕たちのグループに所属していたひとりからです。「都合により」とだけ書いてありますし、もともと出入り自由の会ですからいいのですが、原因はたぶん類句にかかることではないかと推察しています。
彼が会報に発表した川柳作品が、ある有名短歌人の短歌作品と極似していた件がありました。そのことを彼に問い質したところ「偶然にできたものであり真似たつもりはない」との返答でしたが、僕は似すぎていると感じましたので、会報のなかで間接的にたしなめる文章を書きました。日常的には大変に生真面目な人物なので、彼なりに思うところがあっての潔い「会員辞退」だと思います。
ところで、多くの川柳人は「川柳大会」を柱に活動しています。「抜ける抜けない」という、作品より入選することが命題かの風潮もあります。最近では改める機運はでてきましたが、まだ大勢はそのままです。
こうした傾向が、確信犯的類似句を生む温床になっているのではないかと僕は思っています。川柳側から目につきにくい、俳句・短歌は格好のお手本になりましょう。習字で、手本を下敷きにして文字を書くようなものです。川柳界では“作品より入選”という悪しき習慣を直さなかったら、これからも類そう・類似句問題はつづくことでしょう。

もうひとつ、俳句・川柳の短い詩形にあります。写生や発想は、本来は一人ひとりの個性があるのが当然ですが、人が同じような視点・感慨をもつことはあり得ます。また、指導するときに虫食い川柳のように、俳句でいう季語部分を考えさせるようなこともします。
自分でも初心者にこうした指導をしながら、類そうのすすめをしているような忸怩たる思いを抱くことがあります。

>  流灯や一つにはかにさかのぼる   飯田蛇笏
>  流灯の一つが急に横走る      幸治燕居

のように、グレーゾーンにあるケースも少なくないでしょうが、作者のこころの問題として留めおくべきか、最近の櫂未知子さんの「いきいきと死んでゐるなり…」のケースのように積極的に動くべきか、あるいはこれからはコンピュータに作品登録制度のようなシステムを構築していくのか、幾つもの選択枝があるでしょう。今は、櫂さんのように気がついたら積極的に動くほうが諸々すっきりするかも知れませんね。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/saijiki.htm


[970] 事後挨拶 投稿者:二健 投稿日:2003/03/12(Wed) 17:59

久しぶりにおじゃまします。「朗読火山俳」にやよいさんもいらしてたんですね。ということは醜態を見られたんですね。ああ恥ずかしや。どたばたしていてご挨拶できなくてすいませんでした。歴史の証人になって頂けてありがとうございました。


[969] 類句・旧かな 投稿者:至遊 投稿日:2003/03/12(Wed) 13:20

未来さん、牙城さんへ
 本来、主宰の世襲には疑問を抱いています。しかしその上に俳句そのものまで世襲
されたら、創造性が消えると同時に、いつも多分類句・類想を戒めてきているであろう
主宰の方が自分で禁を犯すことになりませんか?
 また類句が出来た場合は、両方捨てるべきだというご意見には賛同しかねます。類句
にも2通りあって、全く別個に考えたのに結果は同じに(または類似に)なってしまった、
という場合と、いい句が頭に残っていてそれを使ってしまうケースです。前者は未来さ
んのおっしゃる通り、多くの人が類似の発想をするというケースなので、両方捨てる方
がいいと思います。後者は真似なら新しい発見はない訳ですから、そちらは消すとして
真似された方は残すべきでしょう。多分真似したくなるほど良い句ですから。

  降る雪や明治は遠くなりにけり   草田男
もすでに類句(というより「明治は遠くなりにけり」が同じ)があったと聞いています。
草田男の季語の入れ替えにより、この句は有名になりましたが、後から作られてもその
でも明かにそちらが優れていると、大半の人が認めれば、このケースは両方残していい
と思います。

牙城さん
 旧かな遣いについての見解、教えてください。


[968] お久しぶりです 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/03/11(Tue) 20:12

> 未来さん

お久しぶりです。仮名遣いについて、類句について、
書き込みありがとうございます。すっかり留守してしまって
すみません。どうか、これからもよろしくお願いいたします。

> 小諸を筆頭に、文学関係者と長野県のつながりは深いですね。
> 高浜虚子は戦争中、小諸に疎開していたと本で読んだことがあります。
> 私も訪れてみたいところの一つです。

行ってみました。小諸駅より、徒歩15分ほど。
こじんまりした小さな家でした。玄関の脇に幹が大きく割れた梅(?)の老木
があって、ふくらみかけた蕾を沢山つけていました。
1日半佐久あたりを歩き回り、小諸をめぐっただけの印象ですが
虚子がこの家で
「爛々と昼の星見え菌生え」という不思議な句を最後に作ったのも
この地ならでは、と納得できる感じ。
藤村がこの地へ来た心持ちを
「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」と書いていましたが、
この地に余所人を惹きつける地霊が強く存在するように思えました。

では


[967] あっ、未来さん 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/03/11(Tue) 20:01

爛々と昼の星見え菌生え

山国の蝶を荒しと思はずや
など、
虚子の小諸時代は晩年の代表句を多く生み出しております。
そうそう、まだ、仮名遣いについての宿題を果たしていませんね。忘れてはいませんので、そのうち書き込みます。
エール有難うございました。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[966] 三宅やよい様 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/03/11(Tue) 19:57

3.8当日はゆっくりお話できませんで失礼いたしました。でもお目にかかれてよかったです。もう終わって三日、日が経つにつれて、あれは何だったのだろうと、幻を見ている感じになってくるのです。でも、その幻を振り払って、来年を期します。本当に有難うございました。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[965] こんにちは 投稿者:向井未来 投稿日:2003/03/11(Tue) 12:08

至遊さん

下の〔962〕番の私のコメントの最後、
「その辺の機微を廣太郎を感じ取ってのことでの、こちらもアピールではないでしょうか。」
の文脈が乱れてしまっていて申し訳ありませんでした。
「その辺の機微を廣太郎氏が感じ取ってのことでの、こちらもアピールではないでしょうか。」
と訂正させていただきます。

島田牙城さん
大事業が無事、盛会裏のうちに終わられたようですね。おめでとうございます。
今後ますますのご活躍を期待申し上げます。

三宅やよいさん
お久しぶりです。お元気のようで何よりです。
佐久のパフォーマンスに出席なさり、小諸めぐりなども。
小諸を筆頭に、文学関係者と長野県のつながりは深いですね。
高浜虚子は戦争中、小諸に疎開していたと本で読んだことがあります。
私も訪れてみたいところの一つです。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/haiku.htm


[964] こんばんは 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/03/10(Mon) 22:25

ええと、ずっとご無沙汰してしまってすみません。
不器用なもんで、日常が立て込んでくるとネットが
お留守になってしまいます。

>島田さん

> 3.8朗読火山俳が、終了いたしました。広報させていただき有難うございました。御礼申し上げます。当日の様子は、下記HPの中のBBSに多くの方がお書込み下さっていますので、どうぞお出掛け下さい。

感想読ませていただきました。
盛会でしたね。私も途中から拝見させていただきましたが、
臨場感あふれる舞台でした。
なんというのか、いろいろなジャンルの臨界が接して溶け出す
エネルギーのようなものが肌で感じられました。
いろいろな意味で刺激を受けました。個々の舞台についてはまた
文章にして書いてみたいと思います。
佐久は今日も雪が降ったでしょうか?昨日は春日温泉から
小諸をめぐり帰ってきました。藤村の「千曲川のスケッチ」を
いま読んでいます。

では


[963] 御礼 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/03/10(Mon) 21:41

3.8朗読火山俳が、終了いたしました。広報させていただき有難うございました。御礼申し上げます。当日の様子は、下記HPの中のBBSに多くの方がお書込み下さっていますので、どうぞお出掛け下さい。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[962] Re[961][958]: 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/03/10(Mon) 18:02

至遊さん、お久しぶりです。

>   流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
>   流灯の一つが急に横走る       幸治燕居

拙者のメモ帖に次なるものがありました。
   流燈に手波加えて送り出す    昭和41年11月号『氷海』掲載
   流燈を手波で闇へ送り出す   昭和42年第3回関西俳句大会優秀句

これは「流燈に手波加えて送り出す」の作者からのお手紙で、「その後、こういう句もあった」という事情をお知らせいただいたものです。

よくありますね。
しかし、厳しいようですが、「誰かがいずれ、同じようなものを作る」程度の感覚による作品は独創性が足りないということで、両者互いに「相い引き下がる」ことがよいのではないでしょうか。
私も実はいずれ、「湖の鴨」の自句への未練を断ち切らなければなりません。たまたま例示として挙げてしまいましたが。

>  序に面白いものを同じ号で見つけました。稲畑廣太郎さんが、虚子・年尾・汀子
> 3代の句として、同じ季語を使って詠んだ句を並べてあったのですが、
>   取敢へず松茸飯を焚くとせん   虚子
>   とりあへず松茸飯にせんと思ふ  年尾

これは、師弟の間の交歓でもない、「世襲こそ日本社会の常」とのアピールかも知れませんね、年尾氏が似た句を作ったのは。
その辺の機微を廣太郎を感じ取ってのことでの、こちらもアピールではないでしょうか。


[961] Re[958]: 類似句 投稿者:至遊 投稿日:2003/03/09(Sun) 23:34

未来さん、お久し振りです。
  流灯や一つにはかにさかのぼる    飯田蛇笏
  流灯の一つが急に横走る       幸治燕居
 この2句は類句・類想のどちらでしょうか。それともどちらでもないんでしょう
か。斎藤梅子女史は、類句でも類想でもないと言い切っています(俳句朝日
2002/10)。川が渦を巻いている状態のときは、確かに遡ったり、横に走ったりする
でしょう。それを観察して詠んだんだから、類句でも類想でもないというのは変で
す。百歩譲って本人は類想の積りはなかったとしても、出来上がったものは完全に
類句でしょう。これに較べれば未来さんの句なんか、意識下のヒントがあった程度
でしょう。
 序に面白いものを同じ号で見つけました。稲畑廣太郎さんが、虚子・年尾・汀子
3代の句として、同じ季語を使って詠んだ句を並べてあったのですが、
  取敢へず松茸飯を焚くとせん   虚子
  とりあへず松茸飯にせんと思ふ  年尾
 親子だから知らなかったとは言わせませんが、これもありですかね。


[960] ●17.comを更新しました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/03/09(Sun) 20:14

17.comに以下のサイトを登録しました。

 ●有谷まほろ(朧庵〜インターネット句会〜 )
 http://user.shikoku.ne.jp/camry/kukai/
 (俳句)



>有谷まほろさん

お知らせどうもありがとうございました。
さきほど掲載いたしましたのでご確認下さい。
(お名前の正確な読み方がわからなくて、
 「あ行」に掲載しています。
 問題ありましたらお知らせ下さい。)
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[959] よろしかったらリンクしてください〜 投稿者:有谷まほろ 投稿日:2003/03/09(Sun) 11:37

噂を聞きつけてやってまいりました(^-^;
この最近「朧庵」という俳句の句会サイトを立ち上げました。

「まずは俳句を作ることの楽しさを知ろう、難しい事は抜きにして俳句で楽しもう」
という事を目指してやっていきたいと思っています。
初心者の人も気軽に参加していただけて、共に俳句を勉強していけるような、
誰でも温かく迎えられる敷居の低い句会・・・のつもりです(^-^;
もちろん、俳句のレベルが高いに越した事はありませんので、腕に覚えのある方の
参加は大歓迎です。

掲示板もありまして、雑詠、俳句談義、そして俳句の考察・・・俳句の事ならば
ちょっとした事から専門的な事まで、何を書いていただいてもOK。
(もろちんマナーの範囲内で、ですよ(^-^;; )
現在のところ、ややローカルな話題が多い気もしますが、
気にせずに書きこんでいただいて構いませんので(^-^;;

ということで、必ずしも俳句をよく知る人間だけが集まっているというわけではありませんが、
「楽しそうっ」と思ってくださる方、ぜひぜひご来訪下さい(^^)

http://user.shikoku.ne.jp/camry/kukai/index.html


[958] 類似句 投稿者:向井未来 投稿日:2003/03/06(Thu) 15:19

自分自身が類似句を作ってしまった経験談を、「自句自註」としてあえてネットに載せてみました。

  かたまつて何すでもなし湖の鴨 (所属俳誌『新雪』平成8年第3号雑詠欄掲載句)
自作のレベルアップのためにたくさんの秀句を読んでいると、いつしか無意識のうちに似たような句を作ってしまうことがある。この句もそうである。
投句するとき、どこかで読んだことがあるような気がしてならなかったが、思い切って出してみた。
1年も後で、やはりそうであったと確認された。
  湖の鴨かたまつてゐて相寄らず  池内けい吾
私は俳句総合月刊誌『俳句』は図書館から借りてきて読んでいるが、その『俳句』で見つけたのである。
それは作者池内けい吾氏の句集紹介記事で、句集中のいくつかの注目句の1つとして抄出され載っていた。その記事が出るさらに前に、池内けい吾氏の句集が出版されていたということになる。
私の無意識の記憶には『俳句』の句集紹介欄で読んだ氏の句のうち、「湖の鴨」と「かたまつて」が残っていたと思われ、原句の「相寄らず」の部分は完全に忘れてしまっていたことになる。
拙句の場合、「何すでもなし」が自分の発想ということになるが、それだけの違いではあまりにも先行句に近く当然自句を捨てて然るべきだが、次のように改めしばらく残してみることにした。
  かたまつて何すでもなし残る鴨     向井未来
季は冬から春に変わったが、「鴨が残っている理由は何だろう」ということで、「何すでもなし」の語の効きが強まったような気がしている。

完全に自画自賛となるのですが紹介させていただきました。なお、ネット上のアドレスは、
http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/jikujityu-nokorukamo.htm
です。


[957] 3周年です 投稿者:谷口蒲公 投稿日:2003/03/02(Sun) 01:14

ごぶさたしてます。
月刊「たんぽぽはいく」おかげさまで、3周年となりました。
とりあえずは、めでたい!と、ご祝儀で訪問いただければ幸いです。

http://homepage1.nifty.com/tanpopo-hoko/


[956] Re[953]: 探しています 投稿者:直子 投稿日:2003/03/01(Sat) 23:47

自己レスです。
カキコしてすぐ、古書店のHPで見つける事ができました。
トピずれ申し訳ありませんでした。


[955] 毎回すみません 投稿者:クローバー句会管理人 投稿日:2003/03/01(Sat) 16:26

いつも宣伝ばかりさせてもらってますが、今回もお願いします。

不定期に開催している第4回クローバー句会を開催することになりました。とても自由な句会ですので、興味のある方は是非一度ホームページを覗きに来て下さい。

よろしくお願いします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/6886/top.html


[954] 一週間前告知 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/03/01(Sat) 11:29

いよいよ一週間前です。
告知
俳、それはアウトロー。人生を賭けた無法者。
再び浅間の噴煙に轟かん、我らの声よ!
第2回朗読火山俳
3月8日(土曜日)
佐久ホテル(佐久市岩村田・電話67-2016)にて開催
後援=佐久市教育委員会・信濃毎日新聞社・邑書林
開場2:30 開演3:00 終演5:30
入場整理費大人1000円 学生500円
出演者と歓談できる懇親会(4000円・予約制)も予定しております。
震撼のトリプルゲスト
藤原龍一郎(音声多重朗読歌人=藤原月彦復活か)
宮ア二健(天狗仮面=回文・自由律俳句の元祖朗読する俳人)
櫂 未知子(激烈なるエレガンス=真の正統派、初の朗読)
佐久の出演者
島田牙城(雪梁舎俳句大賞受賞俳人)
仲 寒蝉(医俳同源.話題のヒューマン俳人)
目黒哲朗(信毎選賞受賞歌人にして新婚おのろけ俳の人)
西澤みず季・三の丸・森泉巨山・森泉理文・大井翠子・土屋郷志
現代俳句は佐久から変わる
主催・問合せ=里俳句会(v0267−68−6780)
是非のご来場を出演者一同心よりお待ち申し上げております。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[953] 探しています 投稿者:直子 投稿日:2003/02/28(Fri) 22:06

はじめまして。
場違いなのを承知で投稿させていただきます。
ご迷惑だとは思いますが、どうかお許しください。
母が本を探しておりまして、変わりにネットや神田などで
探しております。
もう、かなり探しているのですが全く見つからず、
手がかりもありません。
そこで、こちらの皆様で情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら
教えていただきたいのです。

その本は
  カラー図説 日本大歳時記 愛用版 / 講談社 1989年?
  春・夏・秋・冬・新年
の5冊です。

座右版や、常用版はよく見かけるのですが、愛用版が
本当になくて、困っております。
ここで見かけたとか、譲ってもいいという方が
いらっしゃいましたら、お知らせいただけませんでしょうか。
あつかましいお願いで申し訳ありません。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


[952] コーヒーブレイク 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/25(Tue) 17:52

岬さん

パロディ句は私もときどきやります。ほとんど発表しませんが・・・。
  三月の甘納豆のうふふふふ    坪内稔典
この句のパロディとして、
  七月のおはよう納豆えへへへへ  向井未来

もちろん未発表句です。発表してどうなるものでもない句ですので、本日初公開です(^.^)。
秋田県に本社がある「山田フーズ」という会社で「おはよう納豆」を作っています。
普通の納豆です。甘納豆ではありません。
七月としたのはゴロあわせと、「おはよう」としたのは夏の遅い秋田では7月がピッタリとの、自己感覚的なものです。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[951] 類似句 投稿者:いとう岬 投稿日:2003/02/25(Tue) 00:22

「降る雪や…」の中村草田男はもうこれで決まりというくらい支持を受けておりますから動かしようがありませんね。
類そう、類似の問題は仰るとおりこれからも出てくるでしょう。車のスピード違反のようなもので、確信犯的にオーバーしたのか、無意識にオーバーしたのかは本人だけの胸の中にあることですから、すべての判定は難しい…。むしろ、それぞれが近づかない努力をするということでしょうね。
短歌には「本歌取り」があり、俳句にもパロディー俳句を見たこともあります。俳句モード、川柳モードに入るまでのレッスンとしては有効かもしれませんが、手帳に残してしまうといつか自分のものという思い込みができてしまったりする。そうしないために赤線を引いておくなどのことも必要かも知れません。それはともかくとして、真似されるほどの作品を残してみたいものです。

http://www9.ocn.ne.jp/~msk222/


[950] Re[948]: 類似句(余談) 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/24(Mon) 18:26

科学技術上の新発見・新発明
科学技術上の独創性は特許の取得ということで保護され、優先されるようです。
特許をとっておかなければ、「先に発見、発明していた」との主張は無意味になるようです。

将棋の穴熊戦法の例
著作権なども絡んで裁判になり、両方の主張が認められました。「いたみわけ」みたいだったですね。
日本は裁判の判決ですら曖昧に終わらせる。白黒をはっきりとさせることに慣れていない。
集団でものごとを進める日本人は、知的財産の権利主張・保護に慣れていない。それを露呈しました。

これからは著作権をもっと主張すべきでしょう。独創的の権利をもっと主張すべきと考えられます。
もっとも、現代のネットでのホームページへの発表作品は、製本印刷された場合と違い、
第三者が日時入りでコピーして残しておかないかぎり、早く出来た遅く出来たの論争が不可能でしょうけれども。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[949] Re[948]: 類似句(4) 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/24(Mon) 18:10

いとう岬さん

> 〜略〜
> 安住洋子さんの同フレーズの句は『川柳展望』誌に先に発表されており、発表年も確認できますから、安住さんも取り下げる必要はないでしょう。

はっきりと印刷出版なされていますから、動かない証拠となり、おっしゃるとおり取り下げの必要はありませんですね。


さて、俳句では有名な「○○○明治は遠くなりにけり」事件があったとのことです。
  獺祭忌明治は遠くなりにけり
  降る雪や明治は遠くなりにけり
この2句は数ヶ月の間をおいただけで印刷出版になり、「獺祭忌〜」の作者が自分のほうが先だと抗議したいきさつがあるそうです。
「降る雪や〜」の作者のほうは、その先行句はまったく知らずに自分が得たフレーズだと、具体的にその句を思いついた場所・時・光景を挙げて反論したようです。
「明治は遠くなりにけり」が当時の人々の心情に迫ってくるフレーズのため巷間で有名になり、それで論争になったのではないかと考えられます。
さもない句ですと、双方とも忘れられてしまうことになりましょうから。いや、さもない句なら、論争にならずに終わるものと考えられます。

しかし今後も、類想・類似句の問題は常に繰り返されると考えられます。
そこで、一方の句だけが残るような取り上げ方は不当だと思われます。「明治は遠くなりにけり」の場合は、中村草田男のほうだけ触れられて、「獺祭忌〜」のほうは無視されています。
その後の識者は意識的に無視しているのではないかとさえ思われます。
論争があった経緯を知らない場合はやむを得ないでしょうが、一方だけの句だけ触れられて時間が経ちますと、片方は忘れられてしまうのが当たり前ということになります。
したがって、「兄以上恋人未満〜」の句を取り上げる場合は、黛まどか氏の句と安住洋子氏の句と双方取り上げるべきと思います。俳句と川柳では世界がすれ違っていますから無理かもしれませんが。私自身安住洋子さんの句の事情を知らず、そのことを棚に上げてしまっていることになりますけれども。

なおご存知でしょうが、
「降る雪や」のほうは当時有名な俳人中村草田男の作で、「○○○明治は遠くなりにけり」は中村草田男が作者である、ということになっています。
この句の生命は「明治は遠くなりにけり」にあるわけですから、本当は○○○の部分はどんな季語を当ててもよい(「降る雪や」が拙い季語だということではありません。)ように考えられますけれども、「降る雪や」で皆が慣れてしまってきているということでしょう。
元号が変わったなあという詠嘆、感懐も時の経過とともに薄らいできて、特に戦後は天皇は象徴となりましたから、昔の人たちほどわれわれには元号の移ることに感動しなくなりました。
さらに近年は、平成とか昭和などより、西暦何年というほうが多くなってきました。
元号の移行よりも、国民は亡くなられた天皇陛下ご本人に対して哀悼の意を表するということになります。
そんな時代変遷から、「明治は遠くなりにけり」の句もだんだん忘れられ、句作経緯の論争があったことすらも忘れられるのかもしれませんね。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[948] 類似句 投稿者:いとう岬 投稿日:2003/02/23(Sun) 17:25

カナリヤよ此の世はいつも話し中  安住洋子

 安住洋子という川柳作家はあまり多作家ではありませんが、川柳のひとつの理想とする、平明で深い、こころに残る作品を書いています。
 「兄以上恋人未満…」の句は、たしかに「掻氷」を得て作品としての完成度は高まったと思います。黛さんは知らずに書いたのでしょう、でなければこんなに近いフレーズはとても使えなかったでしょうから…。また、「キス」から「掻氷」に添削された時点で、完全に黛さんの句として認知されたと判断してもいいのでしょう。ただ、安住洋子さんの同フレーズの句は『川柳展望』誌に先に発表されており、発表年も確認できますから、安住さんも取り下げる必要はないでしょう。
 僕がなぜ、黛さんの句を気にするようになったかというと、黛さんの句に、ある女流俳人の句集に収められている句と似ている作品が幾つかあって、類例を追ってみたからです。
 ただ、俳句も川柳も勉強の過程ではこうした方法をとることはよくあるケースで、僕も他人をあげつらう資格はありません。ただ、作品を自作として確定する段階では自分に厳しく律するべきでしょう。でなかったら、この世界は混乱のなかで信じあえなくなってしまいます。
 ことに大会・句会を目標に作句している人の多い川柳界では、同想・同類句が本当に多いのです。選者制度にも責任の一端はありましょうが、作者たちはもっと厳しく律しあうことが必要ではなかったかと…。「同想・同類が一七文字文芸としての宿命」としてしまうのは、一七文字文芸の限界を認めてしまうようで寂しいのです。

 なお、安住洋子さんは、もう何年か前くだんの話しをしたとき「あんな有名な人が、私と似た句をつくってくれるなんて光栄だわ」というような、とても大人の回答でした。

http://www9.ocn.ne.jp/~msk222/


[947] Re[934]: 類似句(3) 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/23(Sun) 14:26

575という極小の短文では、その文の生命(あるいは柱)となるフレーズ(ないしは語句)があるものである。
としますと、生命となるフレーズは5〜10文字(音)程度でしょうから、この短文の場合の生命は「兄以上恋人未満」でしょう。
よって、残り5文字(5音)にどんな語句を持ってくるかでこの句の評価が動く(上下する)、というものではないように思います。
すると、この「兄以上恋人未満」というフレーズをどちらが「先に創った(考え出した)」かによって、「誰の句か」の判断をすべきと考えます。
ところが、俳句作者はあまりまったく川柳作品を読まない、川柳作者はほとんど俳句作品を読まないというのが昔の短詩型芸術界の実情のようですから、
ここは素直に、両氏とも「互いに相手作品を知らなかった」と受けとっていいのではないでしょうか。
そして、お2人のどちらかが「似た句がある」と後で知った場合、何らかのアクションを起こしたのではないでしょうか。
特に、安住洋子氏のほうが数年先ということのようですから、安住氏側からアピールすべきです。
もしアピールなりのアクションがなかったとした場合は、「掻氷」の句に決定、すなわち、
「兄以上恋人未満〜」句の作者は黛まどか氏である、ということにされると思います。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[946] Re[934]:類似句(2) 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/23(Sun) 14:23

いとう岬さん

  兄以上恋人未満このキスは   黛まどか
の句が先にあったことは知りませんでした。
なお、この句には季語が含まれておりませんので、正式発表の句だったのでしょうか、疑問は残ります。
  兄以上恋人未満この恋は    安住洋子
という川柳が数年前にあったということも初めて知りました。

それで、最終的に、
  兄以上恋人未満掻氷      黛まどか
が一般的に認められた句ということになっていますが、芭蕉式に3作品の良し悪しからどの句が残るべきかを見ますと、
  兄以上恋人未満このキスは   黛まどか
これは無季俳句となり、有季定型・旧仮名遣いによっている現在の黛まどかさんの作としては、取り下げたほうがよろしいと思います。
(実際に句集『B面の夏』には「掻氷」のほうで載っているはずですが。)
  兄以上恋人未満この恋は    安住洋子
そこで、「掻氷」として正式(?)発表されていますから、「掻氷」と「この恋は」との比較になってしまいますけれども、
俳句と川柳を比較することはできないと考えられますので、芭蕉式判定方法を用いることは適当でないことになってしまいます。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[945] Re[934]:類似句(その1) 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/22(Sat) 11:20

いとう岬さん

拙文『類似句と挨拶句』をお読みいただきありがとうございます。

類似句についてはいろいろな見方がありますようで、近年の俳句界の考えは、
「過去の句は何十万、何百万と無数にあるのであり、類似・類想となることを恐れていては誰も何も作れない」
恐れず作ること、が大せいを占めていると見ております。
その通りと思います。

問題は「類似句・類想句に出遭ったらどう対処するか」、だと思います。
私は、拙文『類似句と挨拶句』の中で触れていますように、「類句に出遭ったら自分の句を引っ込める」ことにします。
例外として、他者からの評価で「そっちより良い句だ」とされた場合は、自分の句を残しておいてもよいと考えます。
(かなりの客観的他者評価に限ります。結社内など身内による評価は、要注意の場合があります。)
ご存知のように俳聖芭蕉の考えは、
「自分が先に作っていたとしても、後で作られた他人の句のほうが優れていたなら、自分のほうを引っ込める」でした。
私もそうしたいです。すると私自身の句は10句も残るかどうかという窮地に立たされますが、やむを得ません(^.^)。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/ruijiku.htm


[944] >水内慶太さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/21(Fri) 01:50

リンク確認させていただきました。
どうもありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[943] Re[942][941]: はじめまして・・・ 投稿者:水内 慶太 投稿日:2003/02/21(Fri) 01:40


> お知らせどうもありがとうございました。
> さきほど訂正しましたのでご確認下さい。

早速ご訂正頂き有難うございました。
>
> はい。どうぞよろしくお願いいたします。
>
こちらもリンク完了いたしました、ご確認ください。


[942] Re[941]: はじめまして・・・ 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/20(Thu) 21:10

>水内慶太さん

> こちらでリンクをして頂いている「月の匣」ですが、
> 今回アドレスが変更になりました。ご訂正お願いいたします。

お知らせどうもありがとうございました。
さきほど訂正しましたのでご確認下さい。

> こちらのリンクも私のところに張りたいと思いますが、いかがでしょうか?

はい。どうぞよろしくお願いいたします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[941] はじめまして・・・ 投稿者:水内 慶太 投稿日:2003/02/20(Thu) 16:34

初めて書き込ませていただきます。
こちらでリンクをして頂いている「月の匣」ですが、今回アドレスが変更になりました。ご訂正お願いいたします。

こちらのリンクも私のところに張りたいと思いますが、いかがでしょうか?

22日から中原 道夫と中国の雲南省に吟行に行ってまいります。
その後の中原主宰の海外詠をご期待ください。
また、寄らせて頂きます。

新アドレスは下です。

http://www6.plala.or.jp/kesa/haiku_top.htm


[940] 余談 投稿者:未来 投稿日:2003/02/19(Wed) 11:43

前に一度通読し、いまときどき掻いつまんで読んでいる高島俊男著『漢字と日本人』(文春新書:198)に、
昭和21年11月「当用漢字表」が定められ、同時に「現代かなづかい」も交付されたことが書かれていました。

面白いのは、このとき関係した国語審議会委員70人のうち、松坂忠則についての記載です。
略して引用させてもらいますが、
松阪は「カナモジカイ」の理事長で、秋田県生まれ、高等小学校中退で少年のころ読めない漢字が多く、
漢字に対して深いうらみをいだき、漢字撲滅のためカナモジ運動をした。
声が大きく押しが強く、国語審議会でこの人が強く主張すると、たいていのことはそのとおり決まった、ということです。
私は同じ秋田県生まれの者として松阪忠則という人に親近感を抱くと同時に、主張の根底となったいきさつに同感してしまいました。
私が俳句での新仮名遣い賛成論者なのは、文語文法に対して似たようないきさつもあるからかもしれません。(私は声は小さく押しも弱いのですが(^。^))

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kamakura.htm


[939] Re[933]追記 投稿者:未来 投稿日:2003/02/19(Wed) 11:08

至遊さん

信太一郎氏の「動詞の活用はどう変わったか?」(アドレスは↓です。)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/katuyou.htm
によりますと、

「(前略)〜 活用の種類と活用形の名称は、文語(古語)と口語(現代語)とで異なる。学校文法の用言の活用についての説明は、江戸時代の国学者などの学説を受け継いだものである。江戸時代には標準となる口語というものが確立されていなかったので、活用の整理は、まず文語について行われた。明治に入ってそれが口語に応用され、今日にいたっている。
〜(略)〜 文語文法と口語文法とを比べると、まず活用の種類が大幅に減っていることが分かる。 〜(略)」

とありますように、活用形の整理はまず文語になされ、のちにそれが口語にも応用されたとのことですから、
島田牙城さんもおっしゃっているように、整備が進んでいるぶん文語の文法は「口語文法より覚えやすい」
ということになりそうです。
が、なにぶん文語は、一般社会人は普段ひんぱんに使っていませんから、旧仮名遣いに拠っている俳人や歌人など、
限られた範囲の方々は日常ひんぱんに使用することになりますので、しっかり知識として身に付けなければならない、
ということになりましょう。


http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kamakura.htm


[938] Re[910]: 出ぜず 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/18(Tue) 11:53

至遊さん

>  百音図でどうして「づ」がないんですかね。

どうして「づ」がないのでしょうね。
鈴木健次氏の表はご自分流にアレンジされている可能性があると私は考えています。
鈴木氏の言語学は読んで面白いのですが、本来は正規の甲乙表に基づくべきと思います。
私も後で正規の表で調べてみることにします。


> また「蹴る」の未然・連用の例が思い浮かびません。本当に語幹なしで「け」で
> 活用していたんですかね。「ら」行4段活用のような気がして仕方ありません。
> 「蹴ず」なんて言ったんですかね。〜略〜。

信太一郎氏の
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/katuyou.htm
の表で、
「蹴る」の活用は、表で語幹に○印がありますから、
「来る」(か変活用)などと同じように語幹を無視した活用形(下一段)があるのではないでしょうか。
となると、未然形は「蹴ば」となってしまいます。
ということは「蹴らば」の「ら抜き言葉」となりそうです。
古代の「ら抜き言葉」かもしれませんね(これは冗談ですが(^.^))。
下一段とするとやはり「蹴ば」と使ったのではないでしょうか。
いずれ文語体は難しくて、憶えるのにたいへんです。
そんな面もあり私は、新仮名用法賛成(積極推進論とは少し違います)論者なのです。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kamakura.htm


[937] 登録ありがとうございました 投稿者:pulittu 投稿日:2003/02/17(Mon) 21:58

17.comに登録していただいてありがとうございました。
確かに繋がっておりました。うれしいです。
一覧表を見て575というのにあれっとは思いましたが、しばらく眺めていましたら
英字にうまくおさまって妙に納得できました。


[936] ●17.comを更新しました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/16(Sun) 18:59

17.comに以下のサイトを登録しました。

 ●pulittu(Chiltan)
 http://www008.upp.so-net.ne.jp/pulittu/
 (575、短歌、詩)



>pulittuさん

お知らせどうもありがとうございました。
さきほど掲載いたしましたのでご確認下さい。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[935] URL掲載のお願い 投稿者:pulittu 投稿日:2003/02/16(Sun) 10:53

管理人様 
 はじめまして、pulittuと申します。
 URL掲載のお願いにまいりました。
 どうかよろしくお願いいたします。

 Chiltan 
 http://www008.upp.so-net.ne.jp/pulittu/

http://www008.upp.so-net.ne.jp/pulittu/


[934] 未来さん 投稿者: 投稿日:2003/02/14(Fri) 22:34

割り込みで失礼します。
貴サイトの大切な場所に当サイトをリンクして頂いて恐縮です。
早速ですが、「今後俳句の守備範囲」の本論から外れた重箱の隅のことですが、ちょっと気になっていたことを…。
未来さんのサイトで「類似句と挨拶」という好文がありますが、具体的な例として黛まどかさんの作品でお聞きしてみたいのです。
黛まどかさんの俳句の裾のを拡げている功績は僕もおおいに買いますが、「類似句と挨拶」にもありますが、ときどき疑問を感じる作品があり、それをどのように思われているのかお聴きしたいと思います。
黛さんの作品のどれが先に発表されているのか、全くの偶然なのかはわかりませんが幾つかの類似作品がちょっと気になっているのです。そのひとつ、今回採りあげられている、

 兄以上恋人未満掻氷

は、以前黛さんご自分の句で、

 兄以上恋人未満このキスは

があり、それより数年前に川柳人の安住洋子さんが、

 兄以上恋人未満この恋は

という作品を発表しています。あるいはまったく偶然の所作かもしれませんが、黛句については他にも似た例があります。平明な句を書いておられますから類似句ができてしまうのも、一七文字文芸としての宿命なのかも知れませんが、一般論として類似句についてのご意見をお聞きしてたいのです。
このところ、身辺が忙しくて頻繁にかきこみができませんが、お考えをお聞きできたら幸いです。

http://www9.ocn.ne.jp/~msk222/


[933] Re[930][919][913][910]: 出ぜず 投稿者:至遊 投稿日:2003/02/13(Thu) 15:42

未来さん

 百音図でどうして「づ」がないんですかね。不思議です。
また「蹴る」の未然・連用の例が思い浮かびません。本当に語幹なしで「け」で
活用していたんですかね。「ら」行4段活用のような気がして仕方ありません。
「蹴ず」なんて言ったんですかね。「足蹴」や「蹴鞠」は名詞化していますから
証拠にはならないと思うんですが。


[932] 無題 投稿者:山崎百花 投稿日:2003/02/13(Thu) 09:15

荻原裕幸さま>>

ありがとうございました。
川柳と俳句の違いをきちんとわきまえたいのが私のやり方です。
両方の良さを大事にしたいと思ってます。
今後ともよろしくお願いします。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/3788/


[931] Re[929]: ありがとうございました 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/11(Tue) 16:19

>山崎百花さん

> で、わたしの不手際なのですが、「川柳」は、あきらめて、やめました。
> 俳句メインです。
> 申し訳ありません。ごついでのときにでも、「川柳」は削除願います。

了解しました。
さきほど訂正しておきました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[930] Re[919][913][910]: 出ぜず 投稿者:向井未来 投稿日:2003/02/10(Mon) 15:04

たいへん参考になるサイトがありましたのでご紹介します。

「〜(略)〜「ゐ」と「ゑ」は使われなくなり、「を」は助詞に限って用いられているが、古くは「ウィ」「ウェ」「ウォ」という音を表していた。これらの音は、英語などの影響で今では復活しているが、実はすべて「い」「え」「お」に合流することによって、日本語の中からいったんは姿を消した音だったのである。現在わ行が「わ」だけになったのもこのためであるが、これらの発音があった当時は、これらのかなが「い」「え」「お」とは別に必要だったわけである。」

↑これは、信太一郎氏のページ↓からの抜粋です。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/tenkoon.htm

また同じ↑のページには、「は行」「ふぁ行」「ぱ行」の変遷や、
「ざじずぜぞ」は「さしすせそ」の濁った音ではなく、「つぁちつつぇつぉ」の濁った音であること、などにも触れられています。

同じ信太一郎氏のページ「動詞の活用はどう変わったか?」↓
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/katuyou.htm
も参考になります。


なお、鈴木健次氏のサイト↓の「50音図」ならぬ「100音図」が面白いですので、これも参考までにご紹介します。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kenji99/b032.htm

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kamakura.htm


[929] ありがとうございました 投稿者:山崎百花 投稿日:2003/02/06(Thu) 10:16

さっそくの訂正、ありがとうございました。
で、わたしの不手際なのですが、「川柳」は、あきらめて、やめました。
俳句メインです。
申し訳ありません。ごついでのときにでも、「川柳」は削除願います。
ほんとにすみません。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/3788/


[928] ●ご報告 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/05(Wed) 14:20

メンテナンス等でしばらくご迷惑をおかけしました。
現在のところ、この掲示板に問題はないようです。
昨日からのログの消失もなかったと思われます。
ご協力どうもありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[927] ●動作確認のテスト 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/05(Wed) 13:59

メンテナンスが無事に完了したかどうか、
掲示板の動作確認のためのテストです。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[926] ●サーバのメンテナンス 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/04(Tue) 17:05

2003年2月4日(火)18:00〜22:00の予定で、
sweetswan.comのサーバメンテナンスがあります。
ゴールデンタイムにもうしわけないのですが、
該当時間は、この掲示板が利用できなくなるほか、
「17.com」も閲覧ができなくなります。

また、メンテナンス終了後、
4日(火)22:00〜5日(水)正午までの間に、
こちらの掲示板に書かれたコメントは、都合上、
5日(水)正午に、消えて復元できない可能性があります。
この点くれぐれもご留意下さいますようお願いします。

ご迷惑おかけしますが、どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[925] ●17.comを更新しました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/04(Tue) 01:29

17.comに以下のサイトを登録しました。

 ●工藤菁生(工藤菁生 俳句の世界)
 http://www2.ttcn.ne.jp/~seisei/
 (俳句)



>工藤菁貴さん

お知らせどうもありがとうございました。
さきほど掲載いたしましたのでご確認下さい。
工藤菁生さんのお名前で登録させていただきました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[924] URL掲載のお願い〜工藤菁生 投稿者:工藤菁貴 投稿日:2003/02/04(Tue) 01:19

管理人 様

はじめまして。工藤と申します。
このたび、母親の工藤菁生(くどうせいせい)の俳句のホームページを公開いたしましたので、ぜひURLの掲載をお願いいたします。

工藤菁生(くどうせいせい)

「たかんな」同人、現代俳句協会会員 

http://www2.ttcn.ne.jp/~seisei/index.html

また、こちらもリンクさせていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

工藤菁貴

http://www2.ttcn.ne.jp/~seisei/index.html


[923] Re[922]: 引っ越しました 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/04(Tue) 00:50

>山崎百花さん

>  ばーば・ばばの俳句帳 
>   改め、
>  百花の≪俳句コスモス≫
>
> URLは、下記のとおりです。訂正のほど、よろしくお願いいたします。

> http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/3788/

お知らせどうもありがとうございました。
さきほど訂正いたしましたので、
ご確認のほどよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[922] 引っ越しました 投稿者:山崎百花 投稿日:2003/02/03(Mon) 22:26

荻原裕幸@管理人 さま>>
いろいろご多忙のなか、お手数お掛け致します。
どうやら引越し先も落ち着きましたので、ご挨拶申し上げます。

 ばーば・ばばの俳句帳 
  改め、
 百花の≪俳句コスモス≫

URLは、下記のとおりです。訂正のほど、よろしくお願いいたします。
新しく、「 全常用漢字詠み込み句会 」を始めました。
どうぞ、いらしてください。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/3788/


[920] 至遊さん 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/02/02(Sun) 21:56

どうも。お問いかけを頂きましたので、お答えしたいのですが、お答えするには多分一時間は欲しいのです。
これは、未来さんが問題提起なさったルビのことも含めてなのですが、
今、それだけの時間がありません。後日必ず返答いたしますので、お許し下さい。
僕は、最終的には作家個々の自覚であると考えております。
で、{お前の自覚とは何か?}ということに対してのお答えになると思います。
ごめんなさい。
2月23日放映の{さんまのスーパーカラクリテレビ}の撮影を控えてばたばたしています。見てね。


[919] Re[913][910]: 出ぜず 投稿者:至遊 投稿日:2003/02/02(Sun) 19:53

未来様、牙城様
 問題提起だけしておいて、しばらく御無沙汰して申し訳ありません。「出づ」の件
を読んでなるほどと感心ばかりしています。ただ私の問題提起したときの「現代かな
づかい」はどちらかというと文法的な意識より、読み方に対するものでした。
 例えば「にほひ」と書いても、読むときには「におい」と読んでいますよね。「わ」行で「わ」と「を」が残ったのはやはり独特の発音が生きて使われているから
だと思います。確かにこの「思います」からして、本来「は行」ですよね。でも「思
ひます」と書くには今の言葉としては抵抗があります。では「続ける」は本当に「つ
づける」と発音しているのかと言われると、「つずける」と発音していると正直に言
わざるを得ませんが、もしかすると「つづける」と書く世代も我々までかも知れませ
ん。今のところまだ「づ」と「ず」は多少近い訳で。
 だから変化の問題とは切り離して考えられませんか?この変化も「出づ」となると
それ自体が現代用語ではなく、今なら「出る」でしょうから。古典としては「出づ」
は尊重します。だから古典的な使い方をする時に「出ず」はおかしい訳で、「日出
づる国」としなければならないでしょうね。

 で、俳句に出来るだけ「出づ」的な言葉は使わずに、「出る」で済ませたい口なの
です。勿論わざわざ古語的なものを使うこともあります。それなりに違う雰囲気を
持っているし、言葉としての締まりがいい場合も多いからです。でもここのところ
自分で詠んだ句を見てみると、殆んど古典的な使い方はしていません。


[918] コーヒーブレイク 投稿者:未来 投稿日:2003/02/01(Sat) 08:44

  二月には甘納豆と坂下る       坪内稔典
  リヤ王の蟇のどんでん返しかな    平井照敏
  高熱の鶴青空に漂へり        日野草城
  詩に痩せて二月渚をゆくはわたし   三橋鷹女
  たんだすめ住めば都ぞけふの月    松尾宗房

こんな句もありました。
宗房は芭蕉の本名だそうです。したがって宗房とある句はごく初期の作らしいです。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kamakura.htm


[917] ●サーバのメンテナンス 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/02/01(Sat) 00:39

2003年2月4日(火)18:00〜22:00の予定で、
sweetswan.comのサーバメンテナンスがあります。
ゴールデンタイムにもうしわけないのですが、
該当時間は、この掲示板が利用できなくなるほか、
「17.com」も閲覧ができなくなります。
たびたびご迷惑おかけします。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[916] Re[915]: URL変更のお知らせ 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/01/26(Sun) 20:30

>常磐恵一さん

> この度、勝手ながらURLを下記の通り変更しましたので、
> 不適当かもしれませんが、この場をお借りしてお知らせします。
>
> 今回は源平にまつわる俳句を集めました。
> 機会があればご覧下さい。

お知らせどうもありがとうございました。
URLの変更、リンク集に反映させましたので、
ご確認のほどお願いいたします。
変更のご連絡は、この掲示板で問題ありません。
ウェブのPRにもいつでもご利用下さいませ。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[915] URL変更のお知らせ 投稿者:皇竹(常磐恵一) 投稿日:2003/01/26(Sun) 16:39

当掲示板管理者殿
リンク・た行、常磐恵一(皇竹の山里の詩)欄へ出させてもらっています常磐です。
この度、勝手ながらURLを下記の通り変更しましたので、
不適当かもしれませんが、この場をお借りしてお知らせします。

今回は源平にまつわる俳句を集めました。
機会があればご覧下さい。
せっかくの機会ですので少しPRしました。
では今後ともよろしくおねがいします。

http://www3.starcat.ne.jp/~iseheisi/


[914] ●ご報告とお詫び 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/01/26(Sun) 14:42

昨日は、午後から深夜まで、
sweetswan.comへのアクセスが不安定で、
ものすごく回線が重かったようです。
プロバイダからの連絡では、
「上位回線の障害」とのことです。
きょうも不安定な時間があったようで、
ご迷惑おかけしております。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[913] Re[910]: 出ぜず 投稿者:向井未来 投稿日:2003/01/23(Thu) 10:04

> 〜略〜
> 現代仮名遣ひ文法は、「わあ行活用」といふへんてこりんを産みました。だからと言つて、変格と名付けようが、「ざだ行」といふ活用を創出していいのかなあ、と不思議なんです。現代仮名遣ひ派の方も、だ行の活用なのですから堂々と「出づ」とお書きになればいいのになと、思ふのです。

小生↓の「だ行変格活用」は冗談でしたが、「ざだ行」とか何活用とするかの呼称はともかく、「新表記」は今後も出てくるとは思っています。
昔は日本語の母音が8つとか6つとかの時代があったらしく、今後も「音」はすこしずつ変化してくると考えられます。50音がだんだん減ってきているように、減少する方向へですね。たとえば、新仮名では「ゐ」や「ゑ」はなくなりましたが「を」はまだ残っています。しかし、そのうち「を」がきえるのではないでしょうか。
それに伴って「わあ行」などという窮屈な活用形をあてはめざるを得なくなる事態も予想されなくもないですね。

もう1つ、
振り仮名の件ですが、俳句ではあまり振り仮名をつけないのが一般的なようです。
しかしたまに見かけますが、旧仮名遣いの俳句では振り仮名をつけるときも旧仮名遣いでふってしまうようです。昔の作者の句ではなく現在存命中の作者がです。
これには私は賛成できませんね。
振り仮名は難しい漢字や読みかたが二通りある場合に、読み手に分かってもらおうとふるわけですから、旧仮名遣いでふられたんでは、もう一回新仮名でふってもらわないと意味が無いような気がするものですから。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/tabi.htm


[912] コーヒーブレイク 投稿者:未来 投稿日:2003/01/21(Tue) 17:56

   大寒や見舞ひに行けば死んでをり    高浜虚子

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/tabi.htm


[911] ちょっと、入りにくかった。 投稿者:あいおい 投稿日:2003/01/21(Tue) 09:25

おはようございます。

2ヶ月ほど行方不明になっていたあいおいです。
このBBSの流れに沿っていないわたくしですが、おじゃまします。

今月の川柳アップのお知らせと、サイトの移転のお知らせにきました。
サイトは移転したのですが、前のサイトもちょっと形を変えて残していますので
古いアドレスをいれておきます。

「俳句」と「川柳」のこと、私にはここで言えることはありませんけど、
「俳句」と「川柳」を自分の中で区別なさって、そのどちらも発表されている方に、私もお聞きしてみたいと以前から思っていました。

どちらも詠まれる方には、そしてそれぞれ別のものと意識している方には簡単な質問なのではないでしょうか。

私はなにか結社のようなところに参加しているわけでもないので、究極はどっちでもいいのです。
それが自分のことばかどうかが問題なだけですから。

でも、最初にある川柳作家の作品をみて、「こういうことばが書きたい」と思って始めたので、「川柳」と言っています。
ほかに名付け方がないんですもの。困ったな。

http://www.geocities.co.jp/PowderRoom-Tulip/6953/


[910] 出ぜず 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/01/20(Mon) 09:58

といふ動詞をときどき句会などで見ることがあるのです。これは、明らかに「出(い)ず」と書かれることからの派生だらうと思ひます。ざ行の活用だと錯覚するんでせうね。
で、「辞書に『出ず』と出てゐる」といふ人がいるんです。正直言つて、困つた辞書です。僕は「辞書が間違つてゐるのです」と答へることにしてゐます。
現代仮名遣ひ文法は、「わあ行活用」といふへんてこりんを産みました。だからと言つて、変格と名付けようが、「ざだ行」といふ活用を創出していいのかなあ、と不思議なんです。現代仮名遣ひ派の方も、だ行の活用なのですから堂々と「出づ」とお書きになればいいのになと、思ふのです。取り急ぎ。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[909] Re[908]: 牙城さんどうも 投稿者:向井未来 投稿日:2003/01/19(Sun) 10:41

牙城さん はじめまして。

> 拙句をお引きくださり、恐縮です。私の書込みを意識して下さつたのだらうと想像します。
見破られてしまいましたか(^。^)
少しずつ貴HPを拝見しておりましたところ、たまたまロシア語に翻訳されるという自薦の御句がありましたので、
その中から私として一番面白いなと思った一句を引かさせていただきました。
積極的に「俳」と歴史的仮名遣いを推し進められているようで、主義主張のはっきりした句作スタンスには感心いたします。
能村登四郎氏も俳味あふれる句の多い人で、
   屋根赤きごきぶり小屋の出来上がる
   蝿叩くには手ごろなる俳誌あり
   まさかと思ふ老人の泳ぎだす
これらも読んですぐ頭の中に残り、なかなか忘れがたい句ですね。
   南瓜撒くかつての花鳥諷詠派      島田牙城
は、南瓜と花鳥諷詠の取り合わせが効いていると思っていますが。

↓の歴史的仮名遣いの書き込み、たいへん勉強になりました。
私は歴史的仮名遣いもひっくるめ昔の用法は「旧仮名遣い」、口語も現代仮名遣いもひっくるめ「新仮名遣い」としてきました。
投句の応募要綱にたいてい、「新仮名遣い」「旧仮名遣い」のどちらかに○印をつけることとありましたので。
(どちらで投句してもよいとしていた結社誌は、新仮名なら全部新仮名で、旧仮名なら全部旧仮名に統一して、ということでしたので念のため)

「〜○○山に出でし月かも」「〜○○山に出ずる月かな」 なるほど「ざだ行活用」ですか、面白いです。
「出ず」は正規文法では否定の「ず」で「出で」の活用形ではないでしょうから、「だ行変格活用」では不合理でしょうか?(-_-;)

> 私のサイトにもどうぞお書込みください。
ありがとうございます。
何か気のつくことなどがありましたらそのうち書き込みさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/tabi.htm


[908] 未来さんどうも 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/01/17(Fri) 22:02

はじめまして。
拙句をお引きくださり、恐縮です。私の書込みを意識して下さつたのだらうと想像します。
さて、下の書込みに加へて短く書きます。
私は歴史仮名遣ひ(一般的には「歴史的仮名遣ひ」と呼ばれてゐます)を使ひますが、現代仮名遣ひを使ふ方を排してはをりません。私が意見申し上げるのは、無自覚に歴史仮名遣ひを使ふ人であり、同じく無自覚に現代仮名遣ひを使ふ人へです。特に現代仮名使ひを主張する人に多いのが、「今現に使つてゐる仮名遣ひだから」といふ主張ですね。一般生活上の仮名遣ひならいざ知らず、俳句も短歌も川柳も、芸術表現なのです。芸術表現に対して「現に使つてゐる」といふ無自覚で消極的な理由はだらしないと私は感じます。言葉は言語芸術の唯一の武器です。その表記法に対して無自覚であることは許されないと考へます。「出づ」の誤表記「出ず」は、多くの現代仮名遣ひ派による誤記の蔓延により流布してしまつたのでせう。自覚的に現代仮名遣ひを選択した人は、堂々と「出づ」とお書きになればよいのだといふことを理解してくれるはずです。さうすると政府や一部御用国語学者に押し付けられた「現代かなづかい」がいかに矛盾だらけであるかも見えてきます。その上でなほ、現代仮名遣ひを選択する人を僕は排除しません。勿論議論はふつかけるでせうが、それは認めた上での議論となるでせう。
また、歴史仮名遣ひと文語を同一視する誤つた認識も改めるべきでせう。現にこの書込みは口語で書いてゐますが、歴史仮名遣ひですね。言文一致運動がほぼ完成した明治後期以降1945年までは、一般的に、口語が歴史仮名遣ひで書かれてゐました。勿論、歴史仮名遣ひの変遷といふものにも目を向けねばなりませんが、取敢へずはこのへんで。
私のサイトにもどうぞお書込みください。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[907] コーヒーブレイク 投稿者:未来 投稿日:2003/01/17(Fri) 17:46

青蛙おのれもペンキ塗りたてか      芥川龍之介
それがしは案山子にて候(そろ)雀どの    夏目漱石
後戻り多き踊りにして進む          中原道夫
南瓜撒くかつての花鳥諷詠派        島田牙城
よだれ姫はなたれ殿や七五三        荒井和昭

以上、たいへん俳味の利いた句だなと思ってしまいました。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/tabi.htm


[906] うれしいな 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/01/16(Thu) 18:52

>三宅やよい様
3.8は是非是非お出掛け下さい。横断幕で歓迎します(^^)
東京行き最終新幹線22:04がありますが、ゲストはみんな泊まりです。都合がつくやうでしたら、牙城宛メール下さい。部屋、お取りいたします。

>旧仮名遣ひのこと、深入りしてゐる余裕がないので、ひとことまで。
「出づ」は文語表現ですので、政府が決めた決め事である「主として現代文のうち口語体のものに適用」(内閣告示「『現代かなづかい』まえがき」より)される「現代仮名遣ひ」の適用の外にあるのではないでせうか。「出づ」を「出ず」と書く人は、「出で」をどう書くのでせう。さう、「出ず」と書くことは知らず知らずに「ざだ行活用」を創出してゐることになるのです。
また、「や」「かな」「けり」は歴史仮名遣ひでも現代仮名遣ひでも「や」「かな」「けり」でせう。失礼しました。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[905] Re[901]: 旧かなづかい 投稿者:向井未来 投稿日:2003/01/15(Wed) 17:19

至遊さん

3年ほど前からインテーネットをやるようになって、新聞や書籍、俳誌などで俳句を読むことがめっきり減り、
もっぱらネット上のページを、しかもときどき読むだけになり、
さらに60歳を期して句作をやめましてからは角川書店の『俳句』も読んでおらず、
現在の俳句がどのような方向に進んでいるのかは、ネット上の情報でしか知りえない現況となってしまいました。

それで適切さを欠くかもしれませんが、私なりの意見を述べさせていただきますと、
ネット上では現代仮名遣い、口語俳句が多いような印象を受けております。
私は旧仮名遣いの結社に投句していましたので、ネットでもどちらかと言えば旧仮名遣いのページを見ておりました。
(新と旧のどちらでもよく、両方を認めるところも1誌ありました。)
旧仮名か新仮名かは、やはり師の系統や流派によって決まるようで、どちらが良いとか悪いとかは分かりません。
いずれどちらの仮名遣いでも、上手く出来た句は後世まで長く愛唱されることになるのは当然でしょう。
おっしゃるように、将来性を考えますと新仮名で句作する俳人が多数となって行くようで、新仮名有望とも思えますが、
〔旧仮名こそ俳句の伝統だ〕とこだわる結社も多く、今後少なくなるかもしれませんが、依然として旧仮名も継続するものと考えられます。

私は20年近く句作しましたが旧仮名遣いに慣れるのがたいへんで、やめる数ヶ月前のころから新仮名で投句し始めたものでした。
「づ」と「ず」、「い」と「ひ」の使い分けはマスターできましたが、「じ」と「ぢ」の使い分けがいまだに覚束ない状態です。
これはもちろん、秋田生まれ秋田育ちの小生がズーズー弁なるが故にその区別が理解できないのではありません (^。^)。
それで、音調では旧仮名も取り入れるが、表記は新仮名でとの方向に進むことにしたのでした。
たとえば、「出づる月かも」は旧仮名ですが、それを「出ずる月かも」と表記するのです。
ホームページに載せています自作も、現在は音調(発音)は旧仮名遣いであっても表記は新仮名に直しております。
《「や」「かな」「けり」は旧仮名遣いであるので、口語俳句・新仮名遣いの中に混ぜてならん》との主張もあるようですが。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/tokusyuyogo.htm


[904] こんばんは 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/01/14(Tue) 22:20

>島田牙城さま

俳句の里の交差点いつも拝見しております。
「朗読火山俳へのお誘い」
ありがとうございます。豪華ゲストを迎えていよいよパワーアップした
朗読会になりそうですね。

> 新幹線佐久平駅は軽井沢の隣、東京駅から70分、大宮からなら45分、首都圏の方も必見です。心よりお越しをお待ちしています。

仕事の都合がつけば、東京から日帰りで見に行きたいと考えています。
楽しみです。

では


[903] 第二回朗読火山俳の概要を発表させてください。 投稿者:島田牙城 投稿日:2003/01/11(Sat) 15:49

朗 読 火 山 俳 へ の お 誘 い{遊ぼうよ♪俳句パフォーマンス}
寒中お見舞い申し上げます。
さて、私たち里俳句会では、本年も、下記の通り俳句朗読の集い「朗読火山俳」を、東京より豪華ゲストを迎えて開催いたします。現代俳句に一石を投ずる実験劇場へ是非御参集頂きたく、衷心よりご案内申し上げます。お誘い合わせの上、どうぞ遊びにお越し下さい。 敬具

主催=里俳句会 後援=佐久市教育委員会(昨年実績・交渉中)・信濃毎日新聞社・邑書林
キャッチフレーズ
俳、それはアウトロー。人生を賭けた無法者。
我らの声よ、ふたたび浅間の噴煙にとどろかん!

2003年3月8日(土曜日)2:30開場、3:00開演、5:30終演
佐久ホテル本館北斎ホールにて(新幹線佐久平駅よりタクシー820円)
(佐久市岩村田稲荷553 電話0267-67-2120)
震撼のトリプルゲストパフォーマー(今年は東京より3人がかけつけてくれます)
  音声多重朗読歌人(藤原月彦こと)  藤原龍一郎
  元祖朗読する俳人=天狗仮面こと  宮ア 二健
  過激なるエレガンス、初朗読挑戦の 櫂 未知子
迎え撃つ里俳句会の陣容
  島田牙城・仲寒蝉・目黒哲朗・西澤みず季・三の丸・森泉巨山・大井翠子・森泉理文
入場整理費=大人1000円・学生500円(当日徴収させていただきます)
終演後、出演者とともに懇親会を持ちます。会費4000円。
懇親会は予約制とさせていただきますので、電話・ファックス・メール・はがきなどで、島田までご予約下さい。
また、当日お泊りの方は、是非佐久ホテルにご予約下さい。佐久ホテル満室の場合、島田が他をご案内しますので、早めにご連絡下さい。翌日は小吟行を予定しています。

新幹線佐久平駅は軽井沢の隣、東京駅から70分、大宮からなら45分、首都圏の方も必見です。心よりお越しをお待ちしています。お問い合わせは、里俳句会(島田牙城)
{この内容はコピーフリーです。BBSやホームページ上で広告にご協力頂けると幸いです。}

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/


[902] コーヒーブレイク 投稿者:未来 投稿日:2003/01/06(Mon) 16:35

松に藤蛸木にのぼるけしきあり     井原西鶴
起て居てもう寝たといふ夜寒哉     与謝蕪村
我寝たを首あげて見る寒さかな     小西来山
幽霊を季題と思ひ寝てしまふ      三橋敏雄
D51のついに横転風邪の妻      馬目 空

みな面白い句だなと思ってしまいました。


至遊さん
近々、旧仮名遣いの是非について私なりの考えをまとめてみます。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/kotoba.htm


[901] 旧かなづかい 投稿者:至遊 投稿日:2003/01/05(Sun) 22:38

あけましておめでとうございます。管理人の皆さんには今年もお世話になります。

未来様
 ちょっと視点を変えて、旧かなづかいの是非についてご意見を伺いたいと思い
ます。以前、未来さんがまだ大部分(何%かは忘れましたが)だとのデータを出さ
れましたが、それは現実として受け止めます。

 しかし、旧かなづかいにこだわるのは何故でしょうか。こんなことを続ける限
り、俳句は古いものにかじりついている印象を与えると思います。しかも俳句が
旧かなでないと詠めないという訳では全く無いのです。新しく俳句を始める人に
はかなり高いハードルになると思います。

 事実私は旧かなは使っていません。だから俳句が格が下がるとも思いません。
俳句雑誌に載るのは、もう経験豊かな人が多いので、この人たちはこれで最初
からやって来たんだと思っていました。若手の人はやはり新かなで、少なくと
も旧かなを強制はされないで詠んでいると思っていました。

 ちょっと川柳を離れて、皆さんの実情教えて下さい。


[900] Re[895][894]: 言葉の規制 投稿者:向井未来 投稿日:2003/01/05(Sun) 10:32

皆さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

至遊さん

> 〜 日本語になる前の、3文字略語なんて次から次へ、
> 時には同じ略語で別の意味を持つものが同時に使われたり、ややこしい限りです。

>  今回も例として一昔前のそんな言葉が入っていましたね。でも日本語にした例を
> 見て、益々判りにくそうに感じたものもありました。ある概念を表わす日本語が存在
> しないとき、そのまま外来語を使う方が正しく伝わることはありますよね。

まったく、そうですね。
言葉は「慣れ」によりますから、ひんぱんに出てくる外来語はそのまま使ってよいと思います。
逆に、現在はあまり出てこない語も、何年かあとでは慣れてしまうっていう場合もありましょうから、
難しい漢字を含む日本語に直さないほうがいいかもしれませんね。


>  逆に余りにも簡単な言葉の組み合わせで、とんでもない意味になることがありま
> す。例えば「データモデル」。「データ」も「モデル」も簡単な言葉なのに「デー
> タモデル」とは何だか判らない。これも思想と手法を併せて持って来たようなもの
> なので、単なる文字通りのものではありませんね。

データモデルって私もわかりませんが、外国では通じないカタカナ書きの「合成日本語」「変形訳語」(和製英語など)は、
これは作って流布させること自体が罪悪だと、私は常々そう思っています。


>  ところで
> > その結果、俳句と川柳の、どっち側が被害の程度が重くなるのでしょうか? 心配です。
> なんて言ってまだ区別にこだわっていますね。〜(後略)。

また川柳と俳句の比較で持ち出してしまいました。よけいな心配でした(^。^)。

ではまた。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/jintai.htm


[899] 2003年もよろしくお願いします。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2003/01/04(Sat) 20:12

自分がかかわっている「場」の
一覧をつくってみました。

▼MAP@ogihara.com
http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/map.html

未見サイトがありましたら、
一度のぞいてみて下さいませ。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[898] あけましておめでとうございます。 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2003/01/04(Sat) 13:32


本年もどうかよろしくお願いいたします。

昨日の大荒れの天気から一変して、
今日の東京は冬晴。
富士山が綺麗に見えました。

今年一年よい年でありますように。


[897] 大晦日となりました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2002/12/31(Tue) 11:45

本年も17.com、ならびに
17.com BBS、をご利用いただき、
どうもありがとうございました。
2003年もどうぞよろしくお願いします。
みなさん良いお年を。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[896] いよいよ 投稿者:三宅やよい@あるまだ 投稿日:2002/12/28(Sat) 20:09

今年も残り少なくなってきました。
年用意もそろそろと思うのですが、忙しがるばかりで
なかなか手につきません。
正月は関西で過ごします。初日を拝みながら西に飛ぶ
ことになりそうです。(飛行機はきらいなのであまり
ありがたくありませんが…)

>至遊さん、未来さん。

本年はいろいろとお世話になりました。
ありがとうございます。

川柳について、俳句について言葉について、
いろいろといただいた問題提議は
引き続き来年も考えていきたいと思います。
どうか、これからもよろしくお願いいたします。

では


[895] Re[894]: 言葉の規制 投稿者:至遊 投稿日:2002/12/28(Sat) 18:22

未来さま

 私もコンピュータ屋なので、言葉には結構振り回されています。また時には加害者
になっていることもあると思います。日本語になる前の、3文字略語なんて次から次
へ、時には同じ略語で別の意味を持つものが同時に使われたり、ややこしい限りで
す。KPIとかCSFとか書いても、読むときにはキーパフォーマンスインディケータなん
て日本語のアクセントで言ってみて、相手が分かったような反応を示せばそのまま
解説抜きで行ってしまいます。
 今回も例として一昔前のそんな言葉が入っていましたね。でも日本語にした例を
見て、益々判りにくそうに感じたものもありました。ある概念を表わす日本語が存在
しないとき、そのまま外来語を使う方が正しく伝わることはありますよね。
 逆に余りにも簡単な言葉の組み合わせで、とんでもない意味になることがありま
す。例えば「データモデル」。「データ」も「モデル」も簡単な言葉なのに「デー
タモデル」とは何だか判らない。これも思想と手法を併せて持って来たようなもの
なので、単なる文字通りのものではありませんね。福沢諭吉始め、明治の人が苦労し
て「経済」「哲学」なんて言葉を作り出したように、新しい意味を含む日本語を作り
出さない限り、こんな言葉の説明は無理です。

 ところで
> その結果、俳句と川柳の、どっち側が被害の程度が重くなるのでしょうか? 心配です。

なんて言ってまだ区別にこだわっていますね。私の12/6の質問に答えてくれた
川柳作家がまだ居ませんが、本当はこれはかなり易しい設問だと思っています。解り
きったことと、無視されているのかも知れませんが、川柳の方の考え方が判れば、そ
れでいいと思っています。「考えを変えろ!」という訳には行きませんから。


[894] 言葉の規制 投稿者:向井未来 投稿日:2002/12/27(Fri) 17:50

「美しい日本語を守ろう」「乱れている日本語」
よく言われる言葉です。
そこで、このたび国立国語研究所が「国語審議会」に代わって乗り出してきました。
曰く、「何を言っているのか分からない外来語については、古来優雅な日本語に置き換えるべきです」
提言に過ぎないとか一案だと弁解的にも付け加えていますが、「日本語の規制」であることには間違いないことですね。
その結果、俳句と川柳の、どっち側が被害の程度が重くなるのでしょうか? 心配です。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/jintai.htm


[893] こんにちは。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2002/12/25(Wed) 16:25

>島田牙城さん

> 俳句に対しても、どんどんご発言下さい。

あたたかいことばをありがとうございます。
すこしでも見聞を深めながらがんばります。
また「信濃毎日新聞」の連載、ご覧いただき、
どうもありがとうございました。
連載、無事(?)終了いたしました。
いずれウェブに再掲載するつもりです。
今後ともどうぞよろしくお願いします。



>向井未来さん

拙文をご紹介いただき、ありがとうございます。
三ジャンルの大枠を考えての下絵的な文章で、
あれを書いた2000年末の時点での自分の視点です。
現在、そこから少し考えは動いていると思いますが、
お読みいただき、感謝いたします。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[892] 皆々様こんにちは 投稿者:向井未来 投稿日:2002/12/25(Wed) 16:03

俳句と川柳の違いについて、お蔭さまでさらに新知識・新見解・異なった考えを吸収することができました。
たいへん感謝いたしております。
俳句にしろ川柳にしろ、言葉遊びとは言われますものの、おおげさかも知れませんが
「言語とは何か」に行き着く要素が多々含まれております。
これまで得させていただきました醸成成果を活かし、「言語とは何か」の方面で、
拙作SF小説(「巨人族の逆襲」:東冬彦名)に取り入れて行きたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。

管理人の荻原さんの本拠ホームページの、これまで発表なさった原稿再録 =REVIEW= の中に、
「俳句と川柳、と短歌」という貴重な一文がありますので、是非ご一読をお勧めします。
アドレスは、 http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/times25.html です。

ではまた。


[891] 純粋読者の目 投稿者:島田牙城 投稿日:2002/12/21(Sat) 10:57

荻原裕幸@管理人 さん
「無季俳句のこと」の件、お知らせしなくてすみませんでした。その上、リンクを貼ってくださり、恐縮です。
荻原さんは時に句作もなさるようですが、専門俳人とは違う。純粋読者と呼ばせて頂いていいとおもうのですが、俳句の中にどっぷりと浸かって濁ってしまった僕のような者の目を、そうした純粋読者の一言が洗い直してくれるということは、ままあります。俳句に対しても、どんどんご発言下さい。
「信濃毎日新聞」の連載は、12月で終わりですか。今月はまとめのような一文でした。長野県人の役得で楽しく拝読いたしております。
どうぞ、今後とも宜しく。 

http://8213.teacup.com/hajihaiku/bbs


[890] >島田牙城さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2002/12/20(Fri) 19:58

道場、盛況ですね。
勉強のため見学させて下さい。
先日「無季俳句のこと」
http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/hyousetu.htm
にお書きいただいたように、俳句(特に季語)は、
俳句の現場にいないとわからないことが多いです。(^^;;;
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[889] 御礼 投稿者:島田牙城 投稿日:2002/12/20(Fri) 11:44

荻原裕幸@管理人 様
ご登録頂き、有難うございます。
開設三日、僕以外でのべ16人が書き込んでくれています。
どう展開するか、忙しくなりそうです。

http://8213.teacup.com/hajihaiku/bbs


[888] ●17.comを更新しました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2002/12/19(Thu) 12:44

17.comに以下のサイトを登録しました。

 ●島田牙城(俳句の里の恥掻き道場)
 http://8213.teacup.com/hajihaiku/bbs
 (俳句)



>島田牙城さん

開設のお知らせどうもありがとうございました。
BBSとしての単独の展開が予想されますので、
リンク集に別途掲載させていただきました。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[887] 新ページをアップしました。 投稿者:島田牙城 投稿日:2002/12/19(Thu) 09:57

俳句と川柳のお話が続いてをるやうで恐縮ですが、
新BBSをアップさせましたので、どうぞお立ち寄り下さい。
  俳句の里の恥掻き道場  道場主=島田牙城
すでに登録を頂いてゐるホームページ内の新BBSですので、新規登録については、内規がありませうから、管理人さんにお任せいたします。
どうぞ新BBSも可愛がつてやつてください。
俳句はどこまでも「俳」の「句」。けつして雅でも上層でもないでせう。芭蕉の野晒しの覚悟を今の俳人が持つてゐないことが問題ですね。(熟読もせずに、すみません。今晩にでも、皆様のお説読ませて頂きます)

http://8213.teacup.com/hajihaiku/bbs


[886] 陣取り合戦の戦法 投稿者:向井未来 投稿日:2002/12/16(Mon) 17:25

「川柳側から俳句領域側へ陣取り合戦を挑む」

俳諧の連歌と正規の連歌の違いはわずかに、「俳諧では俗語(口語)・漢語の使用も認める」だったそうです。あとのルールは、みな同じ。
現代川柳と俳句の違いもわずかで、ただ1つ「川柳は何でもあり」というのが大勢のようです。

ところが川柳側の、この「何でもあり」というルールが、俳句側から見ればたいへんな「くせもの」でしょう。
正規の連歌が、「何語もあり」とした俳諧の隆盛に牙城(=雅城)を明け渡し、呑みこまれてしまった歴然たる事実もあることですし、
何百年もの間、営々育んできた俳句の規則が、簡単に乗っ取られてしまいそうな気がしないでもない。
これまで開拓したり受け継いだりしている俳句ルールを、無意識にあるいは故意に川柳側が取り入れたりしますと、
「そんなことはとっくの昔に、俳句がやっていたことですよ」となるわけです。
そんな後追い行為は俳句側から見れば、「苦労もしないで横取りするんじゃあ付き合いきれないよ」とか、
「川柳さんは何も知っちゃいないんだなあ」などとの認識方向へ流れて行ってしまいましょう。

そこで、川柳側としましてはここで引き下がらずに、「ああ、そうですか」と聞き流し、「川柳は何でもありですから」と居直る戦法をとるのはいかがでしょうか。
「何でもあり」ということは、俳句のルール全部が取り入れられていても特に支障がないということですから、俳句側がルールと決めている作句法なりをすべて取り込んでしまう。
倒置法はもちろんのこと、二物配合法だの、余韻を残す作句法など「川柳入門書」などにも悪びれずに堂々と書いてしまう。

以上、搦め手戦法的な具合になりますが、連歌と俳諧連歌の歴史に見られますように、将来的には川柳が俳句の勢いを凌駕する可能性は充分にありましょう。
なお、俳句側の防御戦法もあるのですが、双方を披露したんでは、「矛」と「楯」の強さを同時に誇張して売り込むようなものですから、又の機会にいたします。

http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/paretto.htm